第62回岸田賞の選考とかの日々

  • 神里雄大氏「バルパライソの長い坂をくだる話」。再読。マル。二度目なので、語られるエピソードそれ自体だけでなく、それが語られる場である舞台のセッティングのことも把握しながら読むことができた。エピソードたちは、男1の母親である女が中に引き籠もっている車を中心とした場で語られる。女の夫、つまり男1の父親、の灰を海に撒きに行こうという息子による母への誘いかけを基調としながら、さまざまなエピソードが語られる。どのエピソードも、一世代に収まらない長い時間のスケールを持つ歴史の話である。そのような話がこのような状況設定のなかで語られることに得心がいったというのが、再読で新たに得た大きな感想。身近な人の死に心が囚われている時期にはかえって人類という単位だったり悠久の時間のスケールだったりで物事を考えたりするようになる、というのは僕にもおぼえのある経験だ。それは人なんて今このときだってどこかで死んでいるのだ、という事実と、それでも身近な人の死はやっぱり重大なことだという主観の心情とのギャップに対しておこなわれる、人間の心の反応なんだろうな。
    「バルパライソの長い坂をくだる話」がとっている、リアリズム的な会話劇とは違うしかたの、登場人物どうしの辛うじてやりとりする体。ひとつのせりふごとに登場人物が長々と話すという、このスタイルによって可能になる詩情があり、それは活かされている。
    父島のエピソードの中のランスという人物についてはもっと書き込んで欲しかった。父島のくだり自体にもう少しずっしりしたボリュームがあったほうがいいと思った。
    長野を発ち名古屋・岡山を経由して香川。善光寺から善通寺への長旅。四国学院大学内の宿泊施設にチェックイン。
    以前僕は、そのときの授賞作だった飴屋法水さんの『ブルーシート』を、戯曲とは上演のための条件となるべきもので、これはそうではなくて行われた上演のドキュメントにすぎないのではないか、という理由で推さない、ということをした。要は『ブルーシート』を〈戯曲〉とみなさなかったのだ。その見解が正しかったのかどうかはわからない。その後飴屋さん自身の演出で再演された『ブルーシート』は見たけれど、そしてその際のテキストは授賞時のテキストそのままではなく、変更が施されていたけれど、それによって上記の僕の考えが確かなものになりはしなかったし、反対に改まるということもなかった。だからあれはまだ僕の中で保留のままである。
    そうした疑問を抱かせるような作品が、今回の8つの候補作の中にはない。どれも〈戯曲〉だと思う。