『三月の5日間』リクリエーション北京公演記念トーク イベントレポート

 1月18日から20日まで、北京の中間劇場で『三月の5日間』リクリエーションの公演が行われる。それに先立つ16日、中国内外のインディペンデントなアーティストの音源を扱うレコードショップにバーやライブスペースが一体化したコンプレックススペース「fRUITY SPACE」にて、岡田利規と、チェルフィッチュのプロデュース・制作を行うプリコグの黄木多美子によるトークイベントが開催された。司会は、フェスティバル/トーキョーで中国プログラムのコーディネートを手がける小山ひとみさん。

 小さな店内には、2017年のフェスティバル/トーキョーで『恋の骨折り損』を公演したスン・シャオシンのような演劇関係者はもちろん、アーティストや音楽家から大学生まで幅広いが、ディープな興味の持ち主たちが、50人ほど集まり、スペースはいっぱいになった。これまで中国で上演されたことのない劇団の話を聞きに来る人がどのくらいいるのだろうかと、多少の不安もあったのだが、それは杞憂だった。

 『三月の5日間』のリクリエーション制作を考えるきっかけとなったのが、2015年に北京にある蓬蒿(ポンハオ)劇場で行われた地元の若い劇団による『三月の5日間』のリーディングだったという話からトークは始まる。岡田は元々、演劇に懐疑的であったがゆえに、新しい演劇を求めて言葉と体のありようについて試行錯誤してきたこと。チェルフィッチュと岡田利規をめぐる20年間の演劇論、演出論、さらにはアート、建築領域とのコラボレーションについて丁寧に語られた。岡田のトーク後、プリコグ黄木からは国際共同制作など、劇団や劇作家、演出家が長く活動を続けるための方法論が過去事例とともに紹介され、中国にはなかなか紹介されない日本の劇団の背景に興味を持ってくれているようだった。日本であればすでに知られた存在となったため、改めてゼロから語られることの少ない演出論、方法論。チェルフィッチュの実態をほぼ知らない人たちに向けて語り直すトークは、作品を見てきた人間の頭の整理にもふさわしい内容だったと言える。

 舞台美術は、建築家と彫刻家とご一緒することが多い。各専門分野の思考法を導きいれることでマルチレイヤーな舞台をつくることができます。そして、『部屋に流れる時間の旅』でやってもらった美術家の久門剛史さんの彫刻的思考や、『三月の5日間』のリクリエーションでお願いしたトラフ建築設計事務所さんの建築的思考のように、演劇も思考の方法論になったらおもしろいと思っています。
演劇的な思考法はもっとポテンシャルのあるものです。かつては演劇を舞台上で行われるパフォーマンスのことで、そこで行われている俳優の体の動きをオリジナルなものにしたいと思っていました。今は、演劇は舞台上で行われるものだとは思っていなくて、舞台上で行われるパフォーマンスを経験することによって、観客の中に何かが起こることを演劇と言っています。舞台上で行われいることがどれだけおもしろくても、観客の中で起こっていることがおもしろくなくければだめなんです。

 20時という遅い時間に始まり、途中で作品の映像を流すと席から立ち上がってしっかり観る人や、積極的に写真などで記録を残す人が何人もいた。たっぷり2時間トークした後は質疑応答。普段情報を得ることのできないチェルフィッチュをはじめとする日本の現代演劇への興味や、世界と協働しながら作品をつくっていきたいという思いを持った質問がいくつもなされた。あらゆる情報にアクセスできるわけではない中国という国のフラストレーションもあったかもしれないと思うのは、穿った見方だろうか。聞くところによると、中国の演劇は新劇的なものが主流で、方法論のアップデートが十分になされていないという。中国の制度や教育、演劇をめぐる公演のあり方や成り立ちなど、様々な理由があるようなのだが、経済的な急成長を遂げ、アートへの投資が熱を帯びる中国にあって、演劇はもちろん広い意味でのパフォーミングアーツへの盛り上がりやアップデートがこれから行われていくのかもしれない。

 ある質問に対する岡田の回答の中に、今回の北京公演及び中国の演劇について印象的かつ象徴的な言葉があった。

【質問】 :

中国の小劇場の作品が国際的になるためにはどうすればよいでしょうか。日本では前衛的な小劇場の人気がある印象ですが、北京ではまだまだそうではありません。

【岡田回答】 :

実際に中国を訪れて感じているのは、強い外国感や知らない国という感覚です。その背景にあるのは、根本的な世界の捉え方やものごとの考え方のフォーマットがものすごく独自なのではないかということ。それはものすごいことだと思う。日本の作り手は、そこまで独自の思考のフォーマットをおそらく持っていません。ヨーロッパなどと共通するフォーマットで動いている気がするんです。違いはアプリケーションのレベルで出ていて、その違いは、違いとして受け取ったり、おもしろがったりしやすい違いなのだと思う。でも中国のようなフォーマットからの違いには、理解するためにもっと知性が必要で、多くの人がまだそれを持っていないのではないか。その意味では、フォーマットが共通するヨーロッパで、『三月の5日間』リクリエーション版がどう受けとめられるかという不安はないのですが、北京公演は、どう受けとめられるかまったくわからずドキドキしています。フォーマットの違いはすごい力になり得る。それが何かを考えることができれば、国際的な作品をつくっていけるのではと思います。

 23時近くまで行われたこのイベントは、18日からの公演で初めてチェルフィッチュを観る中国の人びとにとって、大きな手がかりになったのではないだろうか。公演をきっかけに、チェルフィッチュの演劇的思考や言葉、身振りが中国のフォーマットで展開され、これからの中国演劇と何か関係が結ばれていくことがあればそれはそうとう楽しくなりそうだ。

  • 山口博之 (編集)

    1981年仙台市生まれ。立教大学文学部英米文学科卒業。大学在学中の雑誌「流行通信」編集部でのアルバイトを経て、2004年から旅の本屋「BOOK246」に勤務。06年、幅允孝が代表を務める選書集団BACHに入社。様々な施設のブックディレクションや編集、執筆、企画などを担当。16年に独立。様々な場所のブックディレクションをはじめ、ブランドや広告のディレクション、さまざまな編集、執筆、企画などを行っている。