岡田利規寄稿

MUGEN∞能 福岡公演 / 坂口貴信のフォース

(この記事は2017年9月に『能楽タイムズ』2017年9月号に掲載された原稿の転載です。)

 今年六月に知人に誘ってもらい、できたばかりの東京・銀座の観世能楽堂に赴いて見た『三人の会』は、実に見応えがあった。なかでも「海士」のシテを演じた坂口貴信には衝撃を受けた。僕にとってはそのときが、彼のパフォーマンスを見る初めての機会だったのだが、舞台上から放出されていた〈フォース〉によって僕の意識は上演中、長く覚醒状態に置かれた。ちなみに〈フォース〉とは「スター・ウォーズ」シリーズに出てくる超常的能力のことだが、僕は自分が日頃演劇を見る際に求めている質や手触りを名指すとき、よくこの単語を拝借する。それを〈フォース〉と呼ぶのは、僕にはとてもしっくりくるのだ。そして坂口氏のパフォーマンスも、まぎれもなく〈フォース〉を備えていた。興奮を禁じ得なかった。僕は現代演劇の作り手なので、見るのもそちらのほうが断然多く、能や狂言はさほど頻繁に見ているわけではないのだが、観客として上演から求めるものに、古典と現代物とで分け隔てがあるわけでもない。時間や空間のスケールや感覚を変容させるものが、僕は見たい。この日の『三人の会』は、それを見せてくれたのだった。
 その興奮を再び求めて八月十一日、大濠公園能楽堂の『MUGEN∞能 福岡公演』に足を運び、今回も僕は公演を存分に楽しんだ。
 狂言「鐘の音」の、太郎冠者を演じる茂山逸平のたたずまいがとてもよかった。ものすごく力が抜けてふにゃふにゃしている上体は常に、今にもふらつきそうな、そのすんでのところをキープしている。身体をその仕草のレベルでのみならず、たたずまい方のレベルにおいても微細に調節するテクニックはそれだけで観客に、太郎冠者のいい加減さをダイレクトに伝えてくれる。この感じはアメリカの映画俳優ジョニー・デップの「パイレーツ・オブ・カリビアン」シリーズにおける演技を僕に彷彿とさせた。このシリーズの主人公、海賊ジャック・スパロウを演じるジョニー・デップの演技もまた、上体を絶えずオフ・バランスに保った絶妙なもので、僕はこれをいくら見ていても飽きることがない。そうした身体を見る悦びを、この日の僕は舞台上の生身の狂言師の身体から得ることができたのだ。
 しかも茂山氏は、終始ふらふらしていただけというわけではない。終盤のくだりでは、力は抜けた状態のままでありながら、上体にしなやかな筋を縦に一本すっと通した感じになって舞を舞い、際だったメリハリを見せてもくれた。能や狂言に熱心に足を運ぶ観客というわけではない僕だが、この日、狂言の身体を見る快楽をはっきりと味わうことが初めてできた。
 お目当ての能「天鼓」のシテの坂口貴信は、今回も期待に違わず〈フォース〉を見せてくれた。彼のパフォーマンスは、スケールが大きい。彼がある動きをするとき、たとえば今回の「天鼓」で言うならば前シテの、子供を失った老父としての彼が、正面に据え置かれた鼓を叩かんとして脇正面から中央方向へゆっくりと歩き始めるときに、強烈にそのスケールを感じさせる。分かり易く喩えると、ある動きをすることによって、今にも彼が巨大化していくのではないかという錯覚が、上演の中のここぞというところで何度か起こるのだ。彼のパフォーマンスのあのスケールの大きさの所以は、一体なんなのだろう? それを堪能するために、演劇の作り手の一人としてその秘密にどうしても迫りたいために、僕はまた彼の公演に足を運ぶだろう。大変に満たされた気持ちで能楽堂を後にし、大濠公園の水辺をしばらくぶらぶらしてから帰った。

初出:能楽タイムズ2017年9月号(2017年9月1日発行)
http://www.nohgakutimes.jp

  • 岡田利規(演劇作家、小説家、チェルフィッチュ主宰)

    1973年横浜生まれ、熊本在住。従来の演劇の概念を覆すとみなされ国内外で注目される。主な受賞歴は、『三月の5日間』にて第49回岸田國士戯曲賞、小説集『わたしたちに許された特別な時間の終わり』にて第2回大江健三郎賞。主な著書に『遡行 変形していくための演劇論』、『現在地』(ともに河出書房新社)などがある。2016年よりドイツ有数の公立劇場のレパートリー作品の演出を3シーズンにわたって務める。