北京公演初日を終えて – 岡田利規と7人の俳優のことば

2018年1月18日から20日まで行われた『三月の5日間』リクリエーション版の北京公演が行われた。リクリエーション版のツアー最初の公演が海外となり、海外渡航自体が初めてという役者も多かったが、いつも通りできた人も、言葉が通じないという状況を楽しんだ人も、緊張で思うようにできなかった人もいた。多くの役者が、長い横浜での公演でできたかたちとはまた違う作品に向かっている感触があるようだった。初日の公演後、皆に話を伺う中で印象に残った言葉を断片的に書き留めた。

岡田利規

北京公演で得たこの感覚がなんなのか、時間をかけて考えてみたいです。中国のフォーマットは自分にとって完全に新しいものだという気が、漠然とします。それに触れたことが、自分自身のフォーマットが書き換わる契機になるといいなと思います。

板橋優里

緊張していたけど、おもしろかったですね。最初に出て長いセリフを言う役なこともあって、日本語のわからないお客さんはきっと最初はポカンとするだろうなと思ってたんです。「みんな何言ってるかわかんねーだろー」みたいな(笑)。出て実際そうなった時、「言ってることわからないよねー、ごめんなさいー」と逆に冷静になりましたね。それで、わからないだろうけど伝えたいという気持ちを届け続けるしかないんだよなって、想像もより具体的になっていきました。メンタル鍛えられました(笑)。

渋谷采郁

渋谷「開演直前のブザー音が銅鑼で、中国であることを急に意識してしまって緊張してしまいました(笑)。」
岡田「あの銅鑼の音は、メタリカの曲みたいだったね」

横浜での公演中は右肩上がりに良くなっているという感覚があったんです。でも、リハビリと呼んでいた北京前の稽古では、前の延長線上にはもういないという感覚があって、でも前の線上に戻るのではなくて、新しいところからまた始めていく、でいいのかなとも思っていました。

石倉来輝

上演中に携帯カメラで撮影している人がいたのですが、観る観られるという関係が僕らの知っているものと違って、中国の人は、舞台を観る側のものという感覚があるんじゃないかと感じました。

北京公演の稽古が始まって、この作品への距離が変わったというのがわかったんです。でもそれが前進なのか後退なのかわからなくて。リハビリだということもわかっていたんですけど、リハビリのように元に戻すことがいいことなのか、違う方向に進むのもいいんじゃないかって。僕個人としては横浜公演後の休みの間、意図的に作品と距離を取るようにしていたこともあって、そう思ったのかもしれません。

米川幸リオン

セリフが抜けたわけじゃないんですけど、頭にセリフが浮かぶということがまったくなくて、喋るしかないと思ってやったら、いちおうちゃんと出てました。けど、これまでKAAT(『三月の5日間』リクリエーション横浜公演)で公演してきた想像やリズム、お客さんのリアクションを感じ取るとかもまったくできてなくて、どれだけギター弾いても鳴らないみたいな感じでした。

7場の前でめちゃくちゃ緊張して、とにかく集中しようと舞台袖で土下座のかたちでうずくまってました(笑)。

朝倉千恵子

言葉がわからないし、字幕を観ながらの私たちを観ることになるので、理解や笑いにラグが生じだろうと思っていました。だから実際反応が遅れても、それで焦るということはありませんでした。それよりも客席から携帯で写真を撮られたことがショッキングでした(笑)。しかも裏側が白で目立つという(笑)。

中間劇場はとても大きくて座席も奥行きがあったので、できている頭の想像を遠くの隅々まで広げていくやり方に調整が必要だなと思いました。逆に宇宙空間は真っ暗で広いから想像しやすかったですね。

中国で起きた「SARS」に関するセリフがあるのですが、言葉にする直前は本当にめっちゃビビってました。北京の人が聞いて嫌な思い出とかあったらいやだなという不安がけっこう強くあったんです(上演後の質疑で実際SARSについて、観客からどんな意図があるのか質問があった)。

渡邊まな実

コンドームの数は2個が平均なのかとか最後の吐いたという言葉で笑いや反応があったのですが、文化の違いや生理的な感覚の違いなんでしょうか。日本の反応とはタイミングも質も違って、驚きました。

中間アヤカ

KAAT(『三月の5日間』リクリエーション横浜公演)では観客との距離や関係を大切にしてやってきたのですが、北京公演前、久々に観客がいないスタジオで稽古をして、出演者同士の距離の繊細さに改めて気づきました。それに気づけたことで、また観客との関係の作り方にもいい変化があったと思います。

  • 山口博之 (編集)

    1981年仙台市生まれ。立教大学文学部英米文学科卒業。大学在学中の雑誌「流行通信」編集部でのアルバイトを経て、2004年から旅の本屋「BOOK246」に勤務。06年、幅允孝が代表を務める選書集団BACHに入社。様々な施設のブックディレクションや編集、執筆、企画などを担当。16年に独立。様々な場所のブックディレクションをはじめ、ブランドや広告のディレクション、さまざまな編集、執筆、企画などを行っている。