岡田利規寄稿 パリ同時テロ事件を考える『そのとき僕の周りで起こっていたこと』

この記事は2015年12月に白水社 ふらんす特別編集『パリ同時テロ事件を考える』に掲載された原稿の転載です。

そのとき僕の周りで起こっていたこと

僕の主宰するチェルフィッチュという名の演劇カンパニーは毎年のように海外公演ツアーをやっている。今年の秋のツアーは、ヘルシンキ、ベイルート、パリ、の3都市だった。
この予定が決まった時点で出演者のひとりが懸念を示した。ベイルートが公演地のひとつになっていることについて、危険な場所というイメージのある地にわざわざ出向くことにためらいをおぼえたのだ。
そのためらいはもちろん理解できるものだったが、僕はその俳優を説得しようとした。ベイルート公演を実現させたかったからだ。中東地域で公演をできる機会は貴重だ。また、そのフェスティバルのベルギー人の女性ディレクターとは10年近い付き合いを通して信頼関係を築きあげていて、彼女の熱意と人柄を愛してもいるので僕らをフェスティバルに招いてくれたことに是非とも応えたかった。それに、現在ヒズボラの活動はさほど活発ではない。今もっとも危険な地域はシリア北部、トルコとの国境地帯だ。レバノンはシリアの南部と接している国で、ISによる攻撃やテロなどが起こる可能性はそんなに高くないのではないか。僕はそういう話をした。
結局その俳優は、ベイルート公演には参加できない、と決断をした。いうまでもないがその決断を尊重した。別の俳優に代役を頼み、ヘルシンキとベイルートでは代役キャストで上演することにした。オリジナル・キャストの俳優にはパリにだけ来てもらうことになった。

ヘルシンキからベイルート

2015年11月8日、ツアーメンバー一行はヘルシンキに向けて出発した。ところでこのツアーに、僕は同行していなかった。それとは別の舞台の東京公演のためだった。ツアーに出た演目は昨年の作品だ。すでに50ステージ近い上演を重ね、ある程度成熟したと言っていい。一方東京公演を迎えるほうの作品はこの9月に韓国で世界初演を迎えたばかり。東京公演が国内初演になる。より幼いプロダクションに付き添っている必要があった。
ヘルシンキ公演はなんの問題もなかった。ツアー・マネージャーから日々の様子を報告するメールが送られてきた。おとなしい気質のフィンランドの観客が大笑いしていてフェスティバルの人たちも驚いていた、という内容の、弾んだ文面のメールだった。ヘルシンキ公演を終えた一行がベイルートに向かったのは11月12日だった。そしてその日、ベイルート市内のヒズボラの本拠のあるダーヒィエ地区で2件の自爆テロが起こった。
その報せを受けたとき僕は、ツアーメンバーのこととベイルートに行かない決断をした俳優のことを同時に思った。ベイルートは現在決して危険なエリアではない、と自分が言ったことももちろん何度もプレイバックする。
一行が全員無事だという確認はすぐに取れた。滞在するホテルや公演会場は事件現場から4、5キロ離れたところだという。4、5キロという距離は安全と言えるものなのかどうか。ベイルートのネット環境は快適とはいえないようだ。けれども緊密に連絡をとらなければならない。ツアー・マネージャーと国内に残っている制作者は電話で連絡をとりあった。
翌日の11月13日は舞台の設営、翌日と翌々日の公演のための準備作業の日だった。設営は順調とのことだった。日本やヨーロッパなどで公演するときのような舞台設備や機材の充実ぶり、というわけにはいかなかったようだが、現地スタッフがとても献身的にやってくれているとのこと。ベイルートの次に行くことになっているパリの公演会場の、日本文化会館のスタッフが、ベイルートにいるメンバーのことを気にかけてくれ、ツアー・マネージャーにあてて、平和ボケしてるパリに早くいらっしゃい! とメッセージをくれた。
その矢先、パリのテロが起こった。
現地時間の翌14日の午前中、ツアーメンバー全員が集まり、ミーティングが開かれた。パリに行くかどうかの決断は、彼らの話し合いによってなされるべきことだ。このときのミーティングでは、翌日の昼間にふたたびミーティングを開き、それまでに各人が自分の意見を決めておきそのときに表明することが決まった。それを受けて僕は東京から、以下の文面を書いて送信した。「僕にあるのは、今回のこの時期にパリ公演の機会を得た巡り合わせをせっかくなので、 というのがたいへんに語弊のある表現なのはもちろん承知しています、が、成就させられたら、という気持ちです。エゴかもしれません。しかも僕は今回ツアーに同行していません。これは、とても大きなことだと思います。みなさんの生命に責任をとれないことと、自分が同行していないこと。上記二点がある以上、ツアーメンバーの各人の正直な意見を大事にしたいです。僕としては、僕の欲望=エゴを正直にここで書くことが自分の責任だと考え、ここにそれを書きました」(原文ママ)。日本文化会館、および、この公演もその参加作品のひとつであるフェスティバル・ドートンヌ(「秋の芸術祭」)の事務局も、公演を決行したい見解を示した。しかし、チェルフィッチュのツアーメンバーたちの決定が尊重される旨は重ねて強調された。
パリ公演のみ参加する予定であった俳優に連絡をとった。当然ながらその俳優は、パリにも行くことはできないと答えた。僕たちはヘルシンキとベイルートで代役をつとめてくれた俳優に、パリに行けるか尋ねた。ベイルート公演終了後すぐ帰国して別の舞台のリハーサルに合流する予定があったのを、その俳優は調整してくれた。このおかげで、パリ公演をやると決まればそれができる条件が保たれた。
この日はベイルート公演の初日だった。終演後、ツアー・マネージャーから、これまでやったどの都市の上演よりも賑やかなリアクションをもらえた、役者たちのパフォーマンスも魔法がかかったかのような特別なものだった、ベイルート公演ができてほんとうによかった、と、いかにも火照りが伝わってきそうなレポートが送られてきた。
翌15日、ツアーメンバー一同がミーティング。その結果、現地の様子をこの目で見、公演を行えるかどうかを確かめたうえででなければ公演をするかどうかは決められないが、ひとまずパリには行く、ということが決まった。役者からは、舞台の上では丸腰なので、会場内に銃を持ったガードを配置してほしいという希望も出た。
こうした連絡を、僕は東京で受け取るだけの日々だった。危険を身に迫るものとして感じるわけでもない。安全さがもどかしかった。東日本大震災が起きた年の海外ツアーで出会った現地在住の日本人の方が、いてもたってもいられなくて日本に戻りたいと思う、と言っているのを多く聞いたのだが、僕はそのとき、その気持ちがあまり理解できていなかった。けれども今はよくわかる。僕はパリに行きたくて行きたくてたまらなかった。自分だけ安全なところにいることの後ろめたさを解消したかったのだろうか? それから、僕はこのとき、東京でもテロが起こればよいのに、と内心で思ってしまっていた。だってそうすれば自分たちの活動の仕方が、危険な外国にわざわざ出向いている狂気の沙汰みたいには見えなくなるだろうからだ。

パリから東京

ベイルート公演は大盛況で終わったとのことだった。一行がパリに到着したのは翌日の夜遅く。そして次の日の午前中、全員で会場の日本文化会館に出向き、警備体制も含めた会場の案内を受けた。テロの起こったバタクラン劇場は、建物入口から劇場内部への扉までが目と鼻の先、という構造になっていて、犯人は開演後に建物の外から劇場内に押し入ったらしい。警備も甘くなっていたらしく、その隙を突いたようだ。われわれの公演会場である日本文化会館は以前から入口に金属探知機が設置されていて、中に入るためには空港のように荷物チェックを受けねばならない。劇場は地下3階にあり、警備員も普段より増員され、本番中も配備されるうえ、公演開始して10分経過すると、外から人が入れないよう施錠される。こうした案内を受けたあとで全体ミーティングが行われた。そして舞台セットの設営や照明・音響機材のセッティング、つまり上演に向けた準備作業を開始することが決まった。
公演初日の18日、パリ北部のサン = ドゥニで、テロ実行犯と警察の銃撃戦が起きた。ツアーメンバー全員によるミーティングはこの日も行われ、公演を行う意思確認がされた。この夜の公演、客席はほぼ満席だったという。劇場が襲われたのならば劇場に足を運ぶ、というのがわれわれなりの抵抗の表明だと言った観客もいたそうだ。
初日はあけた。けれど緊張感はそれで低減するわけじゃない。2日目以降もミーティングは毎日開かれた。公演を行うかどうか、その都度確認された。その後の公演をそのままなんとなく、やる、ということにずるずるとなっていく流れが生まれかけているのでは、ということに対する強い危惧を抱いたメンバーがいたとのことだ。そして結果的には、チェルフィッチュのパリ公演は11月21日の最終日まで、5ステージすべて行われた。
日本の11月23日の朝、僕は成田空港に行った。到着出口からひとりまたひとり、メンバーが出てくるのを見て自分に起こった感情はあまりにも複雑すぎるものだった。ただ、ほっとした、というのだけは間違いない。東京で、別の公演に携わって過ごしているあいだ、ツアーメンバーのことをずっと案じていた。でも、自分は安全なところにいてメンバーを危険な地(とされるところ)へ送りこんで、それで「案じる」といってもそこには限界がある。それとは全然違う考えも来る。パリが危険で東京は安全なのか? むしろ、もうそれが起こってしまったパリよりも、まだそれが起きてない東京のほうが、危険かもしれない。そういう考え方だってできるはずだ。さらにそれとも違う思いもある。テロに見舞われた直後の都市で自作が上演されたことは意義深い、という一種の感慨である。

この期間、さまざまなことを考えた。その結果、たとえばテロと演劇の共通点を見つけた。どちらも人間の想像力を前提にしなければ成立しないものだということ。それゆえ演劇はおのずとテロに対抗することになるということも発見した。人間の想像力を恐怖を用いてディレクションするのがテロリズムならば、それとは別の想像力の機能のありかたが可能であると示すことが、演劇には可能だから。もっとも、危険な地で公演を行うことの大義がこれによって出来上がるわけでは全然ないのだけれども。

  • 岡田利規(演劇作家、小説家、チェルフィッチュ主宰)

    1973年横浜生まれ、熊本在住。従来の演劇の概念を覆すとみなされ国内外で注目される。主な受賞歴は、『三月の5日間』にて第49回岸田國士戯曲賞、小説集『わたしたちに許された特別な時間の終わり』にて第2回大江健三郎賞。主な著書に『遡行 変形していくための演劇論』、『現在地』(ともに河出書房新社)などがある。2016年よりドイツ有数の公立劇場のレパートリー作品の演出を3シーズンにわたって務める。