How We Make It

稽古場に美術を仮組してもらう。吊り物が加わりこの吊り物とのさまざまな関わり方たとえばそこから水漏れしてるという〈想像〉をしてみるとかマンガの吹き出しみたいにつかうとかを検討していくことがこの先可能になる。今日も二場と四場。稽古場は今ちょっとした膠着状態だと思う。〈想像〉を概念にとどめないことや何々しないようにするみたいなネガティブな項目を立ててパフォーマンスするのではなく何々をする何々を想像するというふうにポジティブなものに向かって作業していかないとパフォーマンスが観客に何かを与えたり作用を引き起こしたりということにならないということを理解してはいるけれど血肉化するのにそれは当然時間がかかる今はそのための時間をすごしているところなのだと思う。〈想像〉に向かって行くのでなく〈想像〉がこっちにやってくるということを体現するのも難しい。でもそれを体現できれば知らないものがときどきやってきて驚かしてくれるということが起こるそしたらそれにただ驚いていればすごいパフォーマンスが生じる。その一歩手前とまではまだいかないけれど数歩手前にはいる。今回の上演はこれは演劇だからという悪い意味での割り切りを観客にさせ感覚をフルに使って見ることを自粛させるような演劇ではなくて観客に舞台上から受け取るものを全部ガチで受け取っていいんですよ自分の感覚をガチでフルに使って見てこれはいいんですよと上演のありようというか表情のようなもので言えてるような上演になると思う。それをやりたいというのは現場ですごく共有できているしどうしたらそれができるかもだいたいわかってくれている。だからあとはより具体的な事例をいくつか身をもって体験することができればいいんだろうただそれだけなんだろうとおもう。〈想像〉とかかわる時間が何人かの役者にとって無酸素運動の時間みたいになっているのがおもしろいし感銘を受ける。今日の四場のリハで渡邊さんがわかったらしい。わかったと言えるということはそれはわかったのだろうわかっていない状態のときはなにをわかればいいのかがわからないような代物だからこのクリエーションにおける〈想像〉というのは。(10月26日KAATアトリエ)

渡邊まな実
米川幸リオン