『三月の5日間』リクリエーション北京公演劇評:この日本の若者たち、どこかで会ったことあるかも

『北京青年報』2018年1月23日

テキスト:スン・シャオシン

翻訳:小山ひとみ

(この記事は2018年1月23日に『北京青年報』に掲載された原稿の転載です。)

 2016年、国際交流基金主催の『演劇最強論 in China』のシンポジウムのなかで、評論家の藤原ちから氏と徳永京子氏が「岡田利規は日本の現代現劇におけるターニングポイントである」と語った。中国初公演の『三月の5日間』は、岡田の代表作をリクリエーションした作品だ。2005年に岸田國士戯曲賞を受賞した時のバージョンとは違い、俳優は全員90年代生まれで、舞台もシンプルな建築的空間で見せている。脚本の本筋は変わらず、ミノベとユッキーという東京で生活する若者が六本木のライブハウスで知り合い、渋谷のラブホテルで三月のある5日間を過ごすというストーリーだ。この5日間、特に奇跡が起こるわけでもなく、ミノベはユッキーに、自分たちは「ずっと」とか「永遠」という関係性ではないことを確認する。ユッキーはわかりきっていたかのように肯定する。二人は今後、再会するんじゃないかと心配するが、ユッキーは、「ライブハウスは暗い」から、「お互い歳をとる」から、または「東京は広い」から会っても分からないだろうと語る。別れる時、しっかりホテル代は割り勘するけれど、お互いに名前を聞くことはしない。ユッキーが言うところの「出来事が起こった現場」だったラブホテルに戻る時、人間を動物として見間違えたことで、路上で吐いてしまう。このような経験は、ミノベやユッキーにとっては初めてのことではないだろうし、おそらく、最後でもないだろう。

『三月の5日間』リクリエーション@KAAT神奈川芸術劇場 撮影:前澤秀登

 重要なのは、このシンプルなストーリーには、二つのエピソードが盛り込まれているということ。一つ目は、アズマはライブハウスに行く前、映画を見に行き、仮名ミッフィーという女の子に映画のチケットをあげたことで、そのミッフィーから攻撃的なアプローチを受ける。アズマとミッフィーは、口コミが悪い映画を見ることで「癒し」を得るという変な癖がある。くせ者はくせ者を求めるというのは、「地球」(残酷なリアルの描写)に留まるための唯一の手段のようだ。その後、ミッフィーはアプローチに失敗する。彼女の言うところの「自爆」後は、部屋にこもり、ネット上で愚痴り、「火星」に逃げることを決心する。
 もう一つは、イラク戦争が始まったときで、ミノベとユッキーにとって、それはテレビの中で見る実力の差が激しい「サッカーの試合」にすぎず、また、イシハラとヤスイにとっては、反戦デモのおかげで暇つぶしができたというだけなのだ。
 前述と背景に関わるこの二つのエピソードは、ミノベとユッキーのストーリーを理解する上で重要なコンテクストになっている。ミッフィーは、空気に向かってなのか、ネットの世界に向かってなのか、「中二病」のように独り言をつぶやき、生存するには適さない現実から逃げ出したいと考えている。そして、イラク戦争はメディアの中の戦争と化し、まさにジャン・ボードリヤールが湾岸戦争は起こらなかったと言明したかのように、生々しい流血や死傷者というのは、ブラウン管のなかの無害なデータや映像と化し、反戦デモは、ディズニーランドのパレードのように、参加型のパフォーマンスとして消費される。戦争やデモのバーチャル化、景観化というのは、ミノベのような若者にとっての一種の拒絶反応で、『三月の5日間』の最も重要なテーマ、すなわち、個人と社会の関係という問題が想起される。

『三月の5日間』リクリエーション@KAAT神奈川芸術劇場 撮影:前澤秀登

 ミッフィーは妄想のなかで、二次元の火星に飛び、三次元の地球や人類とは別れを告げる。そして、ミノベとユッキーがラブホテルというプライベートな空間にいるとき、外界の政治とは一線を隠している。このことは、日本が60年代の左翼運動と決別し、若者たちが政治に関心を持つことは超ダサいと感じるようになったことと呼応している。例えば、『三月の5日間』のなかで、イシハラたちは、デモの前列に並んでいたり、店の前で“No War”というスローガンを持つハイテンションな人たちのことを、煙たがり、あざ笑う。同時に、ミノベやユッキーにとって、反ベトナム戦争を訴えたオノ・ヨーコとジョン・レノンのスローガンは、「セックスを!政治反対!」という脱政治の傾向に向かっている。このような傾向というのは、若者たちによる単なる無関心ではなく、政治に対する不信感というのがある。とりわけ、資本主義社会における個人意識の芽生えというのは、個人主義を横行させただけでなく、アクティビズムに対し、各自が距離を取ろうとする姿勢を生み出した。

『三月の5日間』リクリエーション@KAAT神奈川芸術劇場 撮影:前澤秀登

 このことは、『三月の5日間』と岡田の他の作品にみられる俳優の身体と言語によく表れている。日々の生活で見逃しがちな細かな動きや繰り返される語りは大きくなり、誇張されている。俳優の怠惰な動きや手足のコントロール不能な様は、まるで、映像の乱れのようで、くどくて、聞き取りずらく、時に同じことを繰り返す様は、まるで未処理のノイズが流れているかのようだ。
 このような演出は、岡田が日本の現代演劇にもたらした最も重要な貢献でありターニングポイントといえる。従来の俳優のしゃんとした立ち姿やはきはきとセリフを読むというあり方を変え(平田オリザが提唱した「現代口語演劇」を継承しており、さらに「超口語」へと発展した)、西洋の影響を受けた新劇という伝統を覆しただけでなく、日本の60年代の小劇場運動を代表する鈴木忠志とは別の道を切り開いた。鈴木が強調する俳優の「動物的エネルギー」は、前近代的な身体を使って近代文明のプロセスに抵抗している。これには、緻密さや統一性を追求する背後には、革命的な美学が潜んでおり、いわゆる「動物的」というのは「政治的動物」だったのだ。

『三月の5日間』リクリエーション@KAAT神奈川芸術劇場 撮影:前澤秀登

 鈴木メソッドが中国の演劇界に入り、それがある種の政治(主流)を肯定することになったことで、中国の観客は、岡田の作品に見られる身体について、容易に「無愛想」「弱々しい」「なってない」といったネガティブな反応を示しがちだ。これは岡田が意図的に風刺をきかせ、日本の若者の「ゾンビ化」を警戒するよう訴えているようにも捉えられるが、そのように理解をしてしまうと、未来への不確定性が個人意識の芽生えた世代に周囲の環境への不信感を植え付けていることを見逃してしまう。彼らはあらゆる壮大な言葉に敏感になっており、象徴的な「怠惰」でもって社会のルールに応えるが、実は、身体の脱政治というある種のストレス反応であり、「非協力」という戦略なのだ。優れた作り手というのは、優れた現象学者でもある。自分の立場をコントロールしたり曖昧にする。なぜなら、断定的な価値判断は作品の解釈の幅を狭め、簡素化させてしまうからだ。その意味でも、岡田は優れた作り手であり、「態度のない態度」を提示しようと努めている。『三月の5日間』ではいっさい音楽を使わず、自分の感情と批判の対象を包み隠している。これにより、作品は「モノローグ」ではなく、語義が豊富な多声的な対話になっている。
 本作はさらにディテールが思考を掻き立てる。例えば、ミッフィーがアズマに名前を聞く際、自問自答を始め、一方では名前を知りたいと思い、他方では相手の代わりに自分を拒絶する。もし、「迷惑」だったら「ハンドルネームでもいいです」「佐藤さんとか」と。結局、二人は別れた後も相手の名前を知ることはないのだ。独りなら名前は不要。名前は社会と繋がる窓口だ。自分だけの隔離された世界では、相手の名前を知ることさえも極めて困難になる。それは、検索エンジンでいくら検索しても見つからないサイトのようだ。ミノベはラブホテルを離れるとき、ユッキーに「俺たちにはずっととか永遠なんてことはないよね?」と聞く。「確認したいだけなんだけど」と続ける。まるで答えはとっくに決まっていたかのようだ。永遠という世界はない。確実な未来もない。5日間親密な関係を持ち、まるで本当に付き合っているかのようなカップルに見えても、電車に乗って別れてしまえば、その後はお互いに気づくことすらない。だとすれば、彼らはこの世界の何に気づくというのだろう?

『三月の5日間』リクリエーション@KAAT神奈川芸術劇場 撮影:前澤秀登

 『三月の5日間』のリクリエーション版は、岡田が初めて中国に来た2015年にさかのぼる。岡田はその時、北京は若い街だと感じ、この若い街で生活をする若者に見て欲しいと願い、『三月の5日間』のリクリエーションを決めた。2004年に日本で初演を迎えた作品ではあるが、2018年の北京にとって、今まさに起ころうとしているある種の未来と言えるのかもしれない。ミノベ、ユッキー、ミッフィーのような若者たちには、どこかで会ったことがあるような気がするからだ。

スン・シャオシン(孙晓星)
劇作家、演出家、批評家

1986年生まれ。中央戯劇学院卒業。天津音楽学院戯劇ドラマ科講師。中国の小劇場やインディペンデント劇団などを紹介した著書『Re-Theatreインディペンデント演劇の都市地図』を執筆。2014年、F/T14シンポジウム「中国・北京 -同時代の小劇場シーン-」に登壇。2015年劇団en?(这是怎么回事?怎么变这样?)を旗揚げ。2016年『サイバー劇場計画』を発表。2017年、F/T17アジアシリーズ「中国特集」では『恋 の 骨 折 り 損ー空愛①場』、
KYORO EXPERIMENT 2017では『Here Is the Message You Asked For… Don’t Tell Anyone Else ;-(這是你要的那條信息……不要讓別人看到;-)』を公演。この他、日本の現代演劇に関するレクチャーではモデレーターも務めるなど、日本の演劇との交流や知見も多い。

関連記事

関連作品