人はいかに幽霊になるのか『部屋に流れる時間の旅』のこと(3)

開かれた問い

 帆香の問い方とは異なる問い方を、一樹とありさは立てる。二人はこの劇の中での出会いのところから、ささいな、しかしお互いが答えうる問いを発する。

ありさ:場所は大丈夫でした。あの、目印にって、蔦が、壁いちめんびっしり覆ってる家が、バス停降りたらすぐあるって教えてもらってたその家。
一樹:わかりましたか?
ありさ:すぐわかりました。あの家誰か人があそこに住んでるんですか?
一樹:きっと住んでないと思います。
バス停から走ってきたんですか?
ありさ:いえ。歩いてきました。走ってはないです。
この息は、ちょっと、緊張してるんです。

「わかりましたか?」のように、肯定/否定で答えるタイプの質問を「クローズド・クエスチョン(閉じられた問い)」、「なにが好きですか?」のように答えるタイプの質問を「オープン・クエスチョン(開かれた問い)」と呼ぶが、二人の会話を見ると、クローズド・クエスチョンもまた、その先で開かれうることが分かる。

 たとえば、「わかりましたか?」という問い自体は、直接には、わかりました/わかりませんのいずれかの答えを求めている。しかし、その先にはもう少し別の含意が含まれている。たとえば、「蔦が、壁いちめんびっしり覆ってる家」をわざわざ目印に選ぶような人には、その、蔦が壁いちめんびっしり覆ってる家について、なにがしかのこだわりなり、愛着なり、興味を持っていそうな気がする。だから、「わかりましたか?」の先には、一樹の、その家に対する何らかの知識が開陳されそうな気がする。わかりましたか?という問いには、そういうふくらみがあるから、ありさはすぐに「あの家誰か人があそこに住んでるんですか?」と問うのだ。

 あるいは一樹が「バス停から走ってきたんですか?」と尋ねるとき、それは走ってきたかどうかをきいているだけではなく、ありさの息がかすかに荒いそのわけを、一樹なりに推察して尋ねているのであって、その推察が違っているのなら、答えは「いえ」だけでは済まず、正解を添えることになる。そして、この問いのおもしろいところは、一樹がその推察を、何を根拠におこなったかを言っていないところだ。だから、「いえ」と言ったあとで、答える側は、一樹が何を根拠に推察したのかを考えなければ、正解を言うことができない。だからこそ、ありさは、一樹の推察の根拠を「この息は」と言い当てた上で、「ちょっと、緊張してるんです」と、正解を言う。

 二人の問いが帆香の問いと違ってふくらみを帯びるのは、彼らがまだお互いに参照すべき過去を持っていないから、言い換えれば、未来の恋人だからだろう。二人の問いは、さらに次のように相手に開かれる。

ありさ:わたしにできることがあるなら、なんでもします。ありますか?
一樹:あります。僕と一緒にいてくれて、僕と話をしてくれたら嬉しいです。
あなたと、これからたくさん、話がしたいです。

一樹:僕も、あなたのためにできることがあったら、なんでもします。なにがありますか?
ありさ:わたしに対して、やさしくしてほしいです。

ここにいたって、一樹とありさとは、お互いに相手に問うときに、相手の答えを受け入れることをあらかじめ「なんでもします」と保証した上で問う。だからこそ、相手は「なんでも」答えることができる。このような開かれた問いを、あたかも開かれた部屋に招くように用意することで、二人は親密さを増していくように感じられる。帆香の問いが、相手に対して開くことなく、答えをあらかじめ問う側が用意することで、相手の答えを奪うのとは対照的だ。

もう一人の幽霊

ありさの問い方は、2011年のあとの、新しい関係の始まりにはふさわしいもののように思える。しかし、それだけだろうか? ありさと一樹の会話は未来に開かれているにもかかわらず、この劇はなぜか、不穏な空気を払拭することがない。

 もちろん、その原因の一つは、ありさと一樹の関係から疎外されながら、簡単に去ろうとはしない帆香の存在だろう。しかし、どうもそれだけではない。ありさにもまた、どこかしら帆香の似姿のような、幽霊めいたところがある。それはおそらく、わたしの気のせいではない。この劇の前半で、ありさ(を演じる女優)は再び舞台に現れて、次のように言うからだ。

「ほら。あるでしょ? 今聞こえていない音が。」

そして、一樹が「でしょ?」という問いかけに対して、無言で椅子に縛り付けられているのと同じように、観客もまた、ありさの「でしょ?」という問いかけに答えることを無言で居ざるをえない。観劇中に声をあげることが許されない、という観客の社会規範によって。実際のところ、後ろ姿の一樹は、観客の似姿なのではないか。

 この劇全般を通して帆香が多用する「でしょ?」という語尾は、単に一樹に対する問いであるだけでなく、次第に観客であるわたし自身に対する不気味な問いかけとして響くようになるのだが、それは実は、ありさ(を演じる女優)によって、観客であるわたし自身に対する問いかけとして、しっかりインストールされているからなのだ。

 「ほら。あるでしょ? 今聞こえていない音が。」

 ありさの「でしょ?」という問いかけによって、観客は聞き耳を立てる。この劇の間中、正体の知れない風の音、遠い呼び出し音が聞こえており、もしかしたらその音を立てているのかもしれない、謎めいた装置が傍らには置かれている。しかし、ありさはそんな風に知覚できる音ではない音に注意するよう促している。今ここに、現存しない音がある。観客は現在という部屋に縛り付けられながら、非在を知覚するよう問われている。現在の非在を、在ると主張できる者は誰か。

「ここでは聞こえなかったでしょ?」

 ここでは聞こえなかった何かを聞き、ここでは起こらなかった何かに気づき、それを現在に召喚する者、それは幽霊である。

過去をきく手立て

ありさと一樹は生身の手を触れあわせ、まるで帆香が存在しないかのように振る舞っている。一樹はまるで過去から逃れようとするように、ありさに「助けてください。」と請う。

「僕はあなたと、現在(いま)のことを話していたいです。そのときそのときの現在のことを。現在のことだけ。」

 この一樹の願いがどこかしら危うく響くのは、彼が「現在のことだけ」を一緒に考えようとしている当の相手、ありさが、実は観客と幽霊的な関係を結んでいるからである。彼らは、そして観客であるわたしは、この場所で過去を形象化する幽霊から逃れることができるのか。むしろわたしたちは、幽霊の声を無視し続けるかわりに、幽霊の声を聞き届ける手立て、幽霊の問いを開かれたものへと変換する手立てを考えるべきなのではないだろうか。帆香は一樹に、次のように言う。

「ねえ。いくら目をつむったとしても、わたしのことは見えなくならなくて、あなたには、わたしのことが見えていない振りしかできない。
 だってあなたはわたしのことを目で見ているわけではないから。
 だから、そこを閉じたらわたしのことが見えなくなる、そういう場所、そういう部位がどこかにないか、いっしょうけんめい探してる。そうでしょ?
 でもそんなところは、見つからない。
 見つからないし、わたしはわたしからすすんでこの部屋を立ち去ることもしない。だってここは、わたしたちふたりの部屋だから。」

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