俳優インタビュー:中間アヤカ(1992)

撮影:竹久直樹

やりたいこととやれることって違うんだなと気づいた

山口博之 :

2003年は何をしてました?

中間アヤカ :

モーニング娘。が好きで、辻加護派でした。そもそもハロプロ全体がすごく好きで、松浦亜弥も大ファンでした。ただ週5でバレエに通っていたのもあって、あんまり遊んではいなかったですね。バレエ教室もステップアップするごとに5回くらい変わっていて、隣の市とかけっこう遠くまで行ってました。

中間さんは普段は兵庫に住んでいて、『三月の5日間』のためにこっち仮住まいしてるとのことですが、生まれは大分ですよね?

そうです。92年生まれ、出身は大分です。16歳、高校1年生まで大分にいて、高校を辞めてロンドンのバレエ学校に留学しました。

なるほど、兵庫の前にイギリスを挟んでるんですね。

3歳からバレエをやっていて、ずっとダンサーになりたいと思っていたんです。本当は3年間通う学校だったんですけど、2年で辞めて帰ってきました。

辞めようと思ったのは、どうして?

バレエがすごく好きだったからこそ、自分が同じ舞台で踊れる、踊っていいレベルの世界じゃないなって気づいたんでしょうね、たぶん。

それはプロとしてご飯を食べていくということにですか?

やりたいこととやれることって違うんだなと気づいたというか(苦笑)。実力の問題ですね。バレエ学校なのでプロを目指す人しかいなくて、日本で習い事としてやっていたバレエとは大違い。評価も点数として出るわけで、あぁやっぱり私違うかもと思った感じですかね。

すんなり諦められた?

ホームシックもあったし、いろんなことがありながらでしたね。もう続けられないって。

戻ってきた時は大分に?

そうです。18歳で戻ってきたんですが、イギリスから戻ってきた時点でダンスは辞めようと思っていて、そこからは実家で暮らしながらアルバイトをしていました。

最終的に自分よりいいダンサーを見つけられないということですね(笑)

実家暮らしでアルバイトから、次にどう動いたんですか?

ちょうど1年後なのですが、神戸にDANCE BOX(http://db-dancebox.org/)という劇場も持っているNPOがあって、主にコンテンポラリーダンスの企画をやっている組織なんですけど、そこが文化庁の委託事業として「国内ダンス留学@神戸」という振付家とダンサーを育成するレジデンスプログラムの第一期生を募集すると知ったんです。1年仕事をした後、どこかでダンスへの思いを捨てきれてなくて、何かないかなと探してた時だったので応募したという感じでした。

コンテンポラリーダンスだったんですね。

バレエ学校でもバレエとコンテンポラリーと両方授業があって、バレエの点数はドベだったんですけど、コンテンポラリーは1番かっていうくらいの成績で、コンテンポラリーだったら生き残れるんじゃないかっていう安易な考えがあったのかもしれないです。

学校での両極端な評価には納得していました?

納得はしてなかったですね。

実際、やってみてどうでしたか?

人生がガラッと変わったじゃないですけど、それくらい大きな出来事でした。バレエを潔く捨てて飛び込もうと思ったのがよかったんでしょうね。いろいろな講師の方がワークショップ形式で代わる代わる授業をして、いわゆるコンテンポラリーの方から舞踏の方とか、座学で歴史もやりました。最終的には作品を作って発表しました。

コンテンポラリーの中でも方向性みたいなものは見えてきました?

まだ海外への憧れがあって、そこを卒業したあとは主にコンテンポラリーダンスをやっている海外のカンパニーに入りたいと思っていました。日本にはコンテンポラリーダンスのカンパニーというのがあるようでないというか、日本でどういう人が活動をして、どういう風に生活しててみたいなのがDANCE BOXでちょっとだけ触れられた感じはしたんですけど、でもやっぱりここでこれから生きていくのは難しいのかなと思っていました。自分は振付をしたり作品を作ったりするよりも、人の作品に出て踊るほうが好きだったので、日本ではダンサーの雇用はあまりないだろうなと。

演出、振付ではなく、ダンサーでいたいというのはどういう意識だったんですか?

単純にどっちが好きかということですかね。作品を作ったこともあるんですけど、人の作品を踊る方が好きでした。

それは自分の振り付けたものだと、超えられないものがあったということ?

まぁ最終的に自分よりいいダンサーを見つけられないということですね(笑)

全部くれないという感じ

海外にはその後行ったんですか?

結局行かなくて、関西でちょこちょこっと仕事もらったりして、これが終わるまではこっちにいよう、次のこれまではこっちにいようと考えていたら、声をかけていただくことも増えて、いつの間にかベースができてしまって(笑)

そうすると、チェルフィッチュはいつ知ったんですか?

どのタイミングだったかな? 国内ダンス留学という企画がいま6年目なんですが、3年目の2014年に岡田さんがワークショップの講師として来られていて、その頃劇場の近くに住んでいたのでアシスタントとして記録で参加して、その時に岡田さんとははじめましてでした。チェルフィッチュの作品は、岡田さんと会う前の年に『地面と床』を観ていました。

チェルフィッチュはダンスとして評価されていた側面から知ったんですか?

いや、それは知らなくて、演劇のカンパニーとして知っていただけです。

他の劇団含めて演劇は観てきていたんですか?

全然観たことがなくて、観るようになったのは関西に出てからです。関西はダンスと演劇の人の距離が近くて、それから観るようになっていった感じです。誘われたり、KYOTO EXPERIMENT京都国際舞台芸術祭で観たりしたくらいですけれど……

チェルフィッチュはどういう劇団だと思っていたんでしょう?

何かわかんないけど、みんなが凄いと言っているから観てみないとと思って、それで『地面と床』を観たんですけど、その時はよくわからなくて。でもよくわからないながらも、後味悪く強烈に残る感じがあって、何だったんだろうというのはありました。他に観てきた演劇と違って、全部くれないという感じがあって、あれは何だったんだろうと引きずりました。

チェルフィッチュのダンス的な側面については?

チェルフィッチュがノミネートされたトヨタコレオグラフィーアワードに私も2回出ているんですけど、歴代の出演者を観てチェルフィッチュが出てるんだと思ったくらいでした。いまもダンス的な目線では考えていないですね。

撮影:竹久直樹
撮影:竹久直樹
撮影:竹久直樹

言葉がない世界でいかにできるかということをやってきた

観劇後に何だったんだろうと思った経験から今回の応募に至るのは?

3年目にワークショップ講師として岡田さんが来た時、先程話したようにアシスタントとして記録係をしていたんですが、「あ、私これできないわ」と思ったんです。受講者はダンサーばかりだったのに、なんでみんなこんな簡単に喋ったりできるんだろうって。その時点では、喋ることに抵抗があったのかもしれないですけど、でも、それがすごく悔しくて。次の年、また岡田さんが来てくれたので受けるしかないって。やってみたら、ダンスとして意識してやる動きと全然違う動きが出てきて、これってけっこうおもしろいかもと思ったんです。ワークショプだし、他の人もたくさんいて、自分を見てもらえるのも数分だったので、その時からずっとチェルフィッチュや岡田さんの存在が気にはなっていましたね。

『三月の5日間』は、応募したタイミングで観ていました?

いえ、観てないんです(笑)。小説は読んでいたんですけど、映像は受かってから観ました。

実際に観てみて、さらに稽古し始めてみてどうですか?

映像を観たタイミングっていうのが、豊橋でのリハーサルが終わった後で、それまで演劇をやったことがなかったから観ると真似しちゃうんじゃないかっていう気持ちもあって。自分の中に正解がないので。実際に観てみたら、今やってるのと違うものだなという印象を受けました。

バレエでも物語とかで〇〇役というように、“演じる”こともあると思うんですけど、それは“演じる”ではない?

演じるという風に言うこともありますけど、やっぱりそれも含めて“踊る”ですかね。

演劇的な言葉を喋る、何かの役になるということに違和感はあった?

役になるということよりも、舞台に立って人に観られているところで何かを喋るということが、どうしたらいいのかわからなかった(笑)。言葉で何かを伝えるということは、ダンサーにとっては難しいです。言葉がない世界でいかにできるかということをやってきたので。

撮影:竹久直樹
撮影:竹久直樹
撮影:竹久直樹

身体の全然感じてなかったところが動き出したりする瞬間がエキサイティング

稽古をやってみてどうですか?

意外とそんなに思っていたよりは苦しくないです。それは岡田さんが言っている〈想像〉っていう土台があるからかなとも思いますけど。

バレエ時代に使っていた脳みそとは違う?

似ているところもあると思います。バレエにもストーリーがあるので、自分が姫だとしたら、ちょっと高いところにお妃様がいて、周りに村人がいてみたいな。空間に対する想像を持つということでは、似ている部分はあると思います。

今はコンテンポラリーをやっていて、バレエ、コンテンポラリー、チェルフィッチュという3つに地続きな部分とか、関係性、違いみたいなのはありますか?

どうなんでしょうね。バレエもコンテンポラリーも自分の体がどう観られているか・どう魅せるかということに対してすごく敏感なんですけど、今やっていることってそれは二の次というか、そればかり考えていたら想像は伝わらないし、喋れないしとなるので、今自分がどういう動きをして、その動きがどう見えているのかということを第一優先にすることができないという意味では、前の2つからは断ち切られているかもしれないです(笑)

今回のリクリエーションは若い世代と作るもので、演劇の社会における役割や可能性について、どう考えていますか?

今やっていることが無意味だとは思っていないんですけど、無意味であることに意味があると信じていて、そういうことに時間を費やせる人に私は惹かれるということもあって、そういうことができたらいいのかなというのは漠然と思っています。それが実際にどういうことなのか、というのはまだ言葉にできていないんですけど、例えばずっとやってきたダンスは、社会で生きていく為に役に立つのかというと、役に立たないと思うんです(笑)。役には立たないと思いますけど、私が好きなダンスって、舞台上で行われていることがすごいということよりも、それを観た自分の身体が全然違う感覚を持ち始めることがすごいと思っていて、何か吐きそうになったり(笑)、身体の感じてなかったところが動き出したりする瞬間がエキサイティングだなと思うんです。あとは岡田さんが言っていることにちょっと通じるかもしれないですけど、そこに流れるうねりのようなものを追体験したり、何かを思い出したりするという経験をダンスや演劇から受け取ったことがあって、人に作用するという意味でそれには可能性を感じます。

いつか誰かととか、いつかここでみたいな憧れ

岡田さんから稽古場で言われることと「How we make it」を読んでどうですか?

わりと稽古の段階で言われていることを再確認する感じで、答え合わせみたいに読んでいます。

岡田さんの言っていることは、すんなり入る?

そうですね。でも、まだ「ん?」という時もあります(笑)。

これからは演劇とダンス、それぞれの活動をどうしていくか考えていますか?

やっとダンスに出会えたかもと思える振付家に出会ったんですけど、亡くなっちゃって……。その人の元でずっとやりたいと思っていたわけではないんですが、御守みたいに思っていた人が急にいなくなってどうしようかなって。トヨタコレオグラフィーアワードも終わって、最後の回も出ていたんですが、その審査内容も納得がいかなくて、自分が取れなかったというのも含めてですけど(笑)。演劇界なら岡田さん、チェルフィッチュをすごいと思って追いかけたくなるような気持ちがダンス界になくて……。この年なので、いつか誰かととか、いつかここでみたいな憧れを持てたらいいのにと思うんですけど、まだおもしろいものを探している感じですかね。その途中でチェルフィッチュに出会って、今って感じです。まだわからないです。

撮影:竹久直樹

中間アヤカ(なかま あやか)
1992年生まれ。大分県出身、兵庫県在住。17歳で単身渡英、ランベール・スクールにてバレエとコンテンポラリーダンスを学ぶ。帰国後、文化庁・NPO法人DANCE BOX主催「国内ダンス留学@神戸」1期に奨学生として参加、ダンサー奨励賞受賞。近年では木村玲奈、黒沢美香、contact Gonzo、村川拓也等の作品に出演。
Web:http://ayakanakama.wixsite.com/official
twitter:@ayaka_nakama

How We Make It

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