How We Make It

  • How We Make It 途中で書くのやめてしまいましたが僕が稽古場で言ってることって要はいつも同じなのでこれ以上書いても特に新しい何かを伝えるものになるわけではないと思ったからです。
    あと単純な話リハーサルが佳境になってきて書く余裕がなくなった。このリクリエーションはオリジナル版とは全然違うものになったと思う。でもそういうものを作った今になって思うのは全然違うものになるのは当たり前だ。だって戯曲以外は全部違うのだから。

    撮影:前澤秀登
    撮影:前澤秀登
    撮影:前澤秀登
  • 四場のラッシーの味わい。七場の四人の役者の流動的で刹那的なカップリングや脱カップリングをどうしたら今以上にはっきりしたものにできるか。このリクリエーション版はこれまでのものよりエロいものになるなと今更ながら気づく。(11月13日KAATアトリエ)

  • 想像とテキストの綱引きみたいな拮抗。〈想像〉の効果にしっかりした音量を持たせること。自然の摂理に従うこと。(11月9日KAATアトリエ)

    左:板橋優里 右:朝倉千恵子
  • 一場朝マックの客がこれまで自己啓発本読んでることにしてたのを資格の勉強してることに変更。二場朝倉石倉リオン三人各自パワフルな音出してくるようになった厚みのあるサウンドになってきた。七場の中で石倉リオンの男性二人がミノベくんとユッキーのボディになる局面をようやくつくることができたうれしい。(11月8日KAATアトリエ)

    石倉来輝
  • 役者が〈想像〉を扱いそれに空間というボディを与えそれによって観客を変えるそれは簡単に言うとジェダイがフォースを操るみたいなこと。(11月7日KAATアトリエ)

  • 初めての通し稽古。役者が〈想像〉を観客に働きかけさせてそれによって舞台美術が上演空間がさまざまな仕方でそれら〈想像〉のボディとなること。それだけが今リクリエイトしているこの「三月の5日間」が観客に与えようとしている経験だということをあらためて味わった。この上演が〈想像〉にボディを与えるということを起こせなかった場合この上演はなーんにも起こしていないことになる。そのリスクとスリルをありありと味わった通し稽古だった。通し稽古終わったあと役者たちにはミュージシャンが演奏中自分(たち)が出した音を聴いているように自分たちが発したパフォーマンスを〈聴いて〉ほしいということと明日からはこの箇所ではどういう〈想像〉を持つかというタスクの持ち方をするのはやめてこの箇所ではどういう〈想像〉を持ちそのことによって観客に何を引き起こすかというふうなタスクの持ち方でやってほしいということと消極的な仕方で何かを心がけるのではなくて積極的な仕方で心がけてほしいたとえばテキストのトラックの中で過ごさないにしようというふうに心がけるのではなく〈想像〉のトラックの中で過ごそうというふうに心がけてほしいと伝えた。(11月6日KAATアトリエ)

  • 七場ひたすらこつこつやる。この場の石倉渋谷中間リオンの四人が四人としてかっこいいときがちょいちょいあるそれをはっきりこのシーンの成分であると定めてつくっていこうと思う。十場。渡邊さん家でいろいろ考えてきてくれたのだがそれが徒になっているというかおかげでかえって観念的になってしまっている〈想像〉を武器として用いることのヤバさの核をまだ掴めていない模様でもこの感じを掴むのは時間がかかることだテイクユアタイム。(2017年11月4日KAATアトリエ)

    中間アヤカ
  • 八場。ホテルから出てしまったことがわかるとき感銘を生み出せるということがはっきりわかる。イコライザーのハイとかローみたいに切なさとかトホホさとかのフェーダーがあってそれを微調整しながらシーン創るみたいなことを中間石倉のふたりとする。楽しい。九場。板橋さんが「無」の境地を垣間見た的なことをリハーサル中に言ったやばかった。九場の後半に出てくるいけすかないキャラクターが今日板橋さんに降りてきたのが僕の想像をはるかに超えるいけすかなさですごいねーと言ったら今のは自分自身ですと言ってたこれまたやばかった。十場。渡邊さんが最初はなんだかおもしろくなかったけれど〈想像〉が自分にさせるものはどれも良いものだおもしろいものだそれを出せるのに出さないってことはしちゃいけないんだというただその点を押さえてくれたら渡邊さんならではのしかたではじけたそれはやっぱりほんとうにおもしろい。六場もちょっとだけやる。〈想像〉に対して受動的に関係すること〈想像〉からちょっかいを出されることが必要というのをまた確認。(11月3日KAATアトリエ)

    渡邊まな実
  • このテキストは日誌ではないリハーサルの様子である。このテキストと一緒に載ってる写真が日誌ではないというのと同じでこのテキストも日誌ではない。七場着手。自分にとってこれまでやったことないことそれは一言でいえば空間が見得を切るという感覚を使って上演を展開させていく感じのことなのだがその新ゾーンに突っ込んで行く感じで七場を中間渋谷リオン石倉の四人と作れるぞという手応えを得た。朝倉さんの三場は充実あとは劇場を宇宙船にできるかどうかだけペンディング。十場嘔吐する場所仮決め渡邊さん〈想像〉の内容そのものはかなりいいそこにどんなボディを与えるのがいいかゆっくりさぐっていこうと思う。(11月2日KAATアトリエ)

    中間アヤカ
  • 四場。中間さんとは〈想像〉の微調整をするたとえばミラーボールの〈想像〉をきのうは持ってたのを今日はやめてみたけどあの〈想像〉は案外効果的だったのかもしれないから復活させてみようかとかインドレストランから外に出るときには満腹感とかお会計ちゃんとすませて店員がありがとうございましたーと言うとかそういうけじめみたいのを〈想像〉の中で付けたほうがめりはりが付くんじゃないかとかそういうかなり具体的な作業。感覚的にぞくっとする仕方で渋谷が立ち上がってくるときと説明的に理屈っぽい仕方でしかそれが立ち上がってこないときと立ち上がってさえこないときの違いは何に帰因するのかの究明。渡邊さんとはパフォーマンスする際に用いる感覚的基準の優先順位を渡邊さんの従来の順位でなく僕にとっての順位に書き換えてもらうセッション。とんでもなくセンスがいいのにそのセンスを使わないでつまんないところで落ち着こうとする傾向がちょっとあるのでそんな勿体ないことは絶対にしないでほしいのでそのことにちょっと苛立ってきつめに言う。今日も天才的な〈想像〉を渡邊さんは編み出していたけれどもこれはあまりにも素晴らしいのでここには書かない。渡邊さんにとって中間さんがどのような〈想像〉のボディであるかというのが場の前半と後半では変化することが必要。六場。渋谷さんの素人っぽさをキープするための作業でも本質的には素人感が大事というわけではない演劇が持つ演劇って観客とこのくらいインタラクティヴでいいんだよっていうポテンシャルにフィルターをかけず生々しくしてたい。ミノベくんのせりふを言っているときにミノベくんになっちゃうと説得力が落ちるミノベくんが言ってるそれを聞いてるユッキーを把持してないといけない。見たくない現実としての郵便受けの中の公共料金系の請求書の山の〈想像〉との付き合いかたを詰める。九場に着手。板橋さん一場のクリエーションを経てるだけあってさすがにいい感じの状態からスタートできる。渋谷駅からアメリカ大使館への地図で踊る。〈想像〉を言葉が始まる前から先取りして身体を踊らせるという方針を共有。(11月1日KAATアトリエ)

    板橋優里