俳優インタビュー:米川幸リオン(1993)

撮影:竹久直樹

結局、俳優って何にもできないということだとしか気づかなかった

山口博之 :

93年生まれ、三重県出身ですね。

米川幸リオン :

今年で24歳になります。オーディションに書類を送ったのが23歳になりたての時でした。京都造形芸術大学の映画学科映画俳優コースを卒業したんですけど、その後も俳優というか、表現をしたいと思って東京に出ました。大学時代は、俳優になるなら演じることよりもずっと絵を描いてればよかったなと思っていました。勉強もしたけど、結局、俳優って何にもできないということだとしか気づかなかった、語弊があるかもしれないですけど。昨日選挙で実家に帰ってたんですけど、地元の友達に俳優やってよと言われてもセリフがないと何もできないわけですよ。東京に出てきてからもモヤモヤと何か表現したいなと思っていたけどできなくて、じゃあ東京でも友だちをつくろうと思って、それだけの理由で映画美学校のアクターズコースに入りました。逆に現場では俳優は何でもできるとも思っているので、その振り幅はおもしろいですね。

演劇よりも映画だったんですね。

どっちというよりお芝居ですね。映画と演劇の違いがまだはっきりわかっていないところもあります。在学中はどちらにも出演はしていて、舞台のほうが多かったですね。ただ評価受けたのは映画の方でした。

2003年の3月は、小学4年生で10歳でした。

子どもの頃はバスケットしかしてなくて、小4はまだ本腰入れる前だったので、他の習い事をいろいろやっていました。水泳と空手、クラシックバレエも少しだけ、お姉ちゃんに付いてく程度ですけど。

Mr.ビーンがすごく好きだった

演技との出会いは高校ですか?

高校時代もずっとバスケットしかやっていなくて、上の二つの学年が全国大会にも出るような強い学校だったんです。僕らは県で3位でした。だから大学で演技を学ぶ選択をした理由が特にないんです……。お父さんがイギリスの美大を出ていて、年子の姉も小6から10年間イギリスにいて大学も美大だったんので、あ、なんかかっこいいなと思っていて、ペーパーの受験は絶対にしたくなかったのとMr.ビーンがすごく好きだったから、みたいな感じです……。本当に記憶がないです(苦笑)。早い段階でミスったとは思いましたね(笑)。最初はエチュードをやったんですけど、何やってんだろうと思って。

初めて演じてみたわけですよね。

僕、すごいビビリなんで、何も言えないし、動けないし、ただ立ってるだけ。今では反対に何もしなくていいやと思うようになってただ立ってるんですけど、当時は何もわからなかったので何かしなきゃと思って足し算をしていた感じですね。全然楽しくなかったですね。

いつから楽しくなったんですか?

大学3年の時に、俳優の柄本明さんが来てくれて、めちゃくちゃなことをたくさん言っていて、「はい、用意…人間って自分の顔は自分じゃ見れないだろ。で、人って死んだら魂が抜けて飛んでくだろう。その飛んでるときに初めて自分の顔が見れるんだよな。それって皮肉だよな。あっはっは。スタート!」みたいな。いやいや、わからん!て。それがほんとにおもしろくて。柄本さんは、お芝居は悪意をもってやるんだと。例えば、ギャルが渋谷のスクランブル交差点の前で待ち合わせしているとすると、「(ああ今から会いたくないなー)ああ、会いたかったー!」みたいな。この心の声が相手に悟られなければ、めちゃくちゃいい芝居なんじゃないかって。「オレたちは舞台でやる時、やさしくわかりやすくやるだろ? でも逆なんじゃないかと思うんだよ」と話くれて、すごくわかりやすかった。それから楽しくなりましたね。

演じることの視点を変えてもらった感じですね。

あと、松尾貴史さんの授業もあって、想像力は思いやりだという言葉は印象に残っています。

撮影:竹久直樹
撮影:竹久直樹
撮影:竹久直樹

僕自身セリフを上手に言うということにそもそも興味がなくて

舞台を生で観た経験というよりも、大学で出会ったことが大きかったと。芝居や映画は観てました?

3年生になって、考えたら舞台も映画も全然観てないと思って、柄本さんから見巧者になれば自分の芝居の良し悪しもわかる。年間300本を5年で1500本やってみなと。僕はちょっとヒヨって展覧会なども含めて年間200本にしようと決めて、それから3年は観ていました。最近はちょっとできていないですけど…

200はすごいですね。その中にチェルフィッチュも入っていた?

そうですね。でも、去年京都で見た『部屋で流れる時間の旅』の初演が初チェルフィッチュでした。だから僕のチェルフィッチュ歴は、まだ全然短いです。それから友だちにDVDを借りて他の作品も観ました。

東京乾電池の柄本さんや松尾さんと、岡田さんの芝居の方法論は違うと思うんですけど、どうでしたか?

映画っぽいとか、何々っぽいなとか、ぽいっていうのはひとつ遅れている気がしていて、チェルフィッチュはそういう何っぽさみたいなのがなかったんです。

自分がそれまで経験してきた芝居とは違っていた?

そうですね。ただ、僕自身セリフを上手に言うということにそもそも興味がなくて、というよりも言えないものだと思ってて、他人の言葉を自分のものとして言うことが気持ち悪かったんです。だから大学時代もいつも割り切ってやっていて、俺のじゃないよという感じが出ていたかもしれません。だからチェルフィッチュはストンと落ちたんだと思います。

岡田さん的な、想像をする、というやり方はどうですか?

ダイナミズムを大事にしてと話をされているんですけど、これまでダイナミズムというのを全然意識して来なかったので、まだできていないけど、実はダイナミックなことができるはずで、それが想像によってだということはわかったので、飛びついてやっています。ダイナミズムは最近のホットワードですね(笑)
今、ようやくちゃんと足し算をやっている感覚があるんですよ。これまではずっと0を目指して引き算をやっていたんですけど、テキストの1があって、想像っていう小数点があって、1.9999…を目指すおもしろさみたいな感覚があります。

撮影:竹久直樹
撮影:竹久直樹

世界平和が夢だったら、ワゴン車でたこ焼き売っていてもいい

オーディションは自信ありました?

んー、えーと、なかったですね。オーディションとかイキって行っちゃうんですけど、気負わないとできないのでオーディション期間中も最終審査の3日間は全然寝付けなかったです。わけも分からず公園を3時間も散歩したりして(笑)。

演劇の枠に留まらない野望のある若い俳優と一緒にやりたいという岡田さんの考えをどう捉えていました?

そうですね、野望……、なんだろう。

デモとか参加したりしていましたよね。そうした社会的な動きに反応することはやってきて、自分が良くないと思う社会の出来事に対して主体的に動いていると思うんですね。そうした中でいま普段米川くんはやっているのは演劇という方法で、その先に何があるんだろうということは考えたりしますか?

します。大学で、秋山豊寛さんという日本人初の宇宙飛行士の方が政治についての勉強会を開いていて、何度か参加していたんです。例えば映画「プライベート・ライアン」の冒頭23分は映画史に残ると言われているんですが、戦争の凄惨さや悲惨さを伝えるべく国会で政治家に向けて流してやればいいんじゃないかと僕が言ったら、秋山さんは「そんなんで政治家が変わったら、政治家やれないよ」って。えーじゃあどうしようと思った時に、秋山さんがポンと「国民に向けて作れ」って言ったんです。それが民意となっておっきな力となれば、それは受け取って、反応するはずだからと言われた時に自分のベクトルがしっかり向いたんです。これは僕が尊敬している友だちの受け売りなんですが、友だちが将来の夢はと聞かれて「世界平和」とポンと応えていて、ホントにかっこいいなと思ってて。その夢に向かっていれば、俳優をやらなくてもいいと思ったんです。世界平和が夢だったら、ワゴン車でたこ焼き売っていてもいいわけじゃないですか。そのゆとりが好きだなと思って。だからお芝居だけとか、そういう縛りにはまったく興味がないんだと思います。でも表現ということは好きで、クリエイティブでありたいとは思っています。

じゃあ、米川くんのいまの夢も世界平和?

そうです。がんばってます。まだ全然あやふやなんですけど、でも次のステップはと聞かれても夢を持ってさえいれば考えられると思うんです。いまは目の前の人を大切にしようと思っています、そこを超えて大多数に行ってもあんまり意味がないと気づいたんで。そういうことも表現であっていいし、友だちとの飲み会も表現って言っていい。
チェルフィッチュのオーディションで400字の志望動機を書くところに、世界平和ですと書いたんですね。それを言うとよく笑われるんですけど、強い思いがあって言った言葉を汲み取ってくれない人に、思いやりが足りないねと皮肉って言うことがある、という話を400文字で書きました。でも、岡田さんと面会した時は、改めて志望動機は?って聞き直されました(笑)

なんと答えたんですか?(笑)

いや、黙っちゃいました(笑)。そりゃそうかどうしようって(苦笑)。思いやりとかユーモアを大事にしたいとは思っています。

“嘘”は自分にとって大事な問題です

東日本大震災の時はまだ関西ですよね。衆議院の選挙も先日ありましたけど、考えるきっかけになったこととかありますか?

安保法制ですね。それまで話を聞いたりしてもいまいちピンときてなくて。デモに行こうと誘われて行ってみたら、そのデモで先頭を歩いていた秋山さんが「道は車が走るためだけじゃなく、俺たちが意見を言っていい場所になるんだ」と言っていました。警察もデモをサポートする。秋山さんに、「そういう場所に身を置けたことは大事にしたほうがいい」って言われて、最初は意味を汲み取れなかったんですけど、今も自分に残っている大事な言葉で、ずっと考えて最近なんとなく掴めてきた感じです。それはすごく自分にとって大きい経験でした。それから人を思って、票を入れようと思いましたね。

岡田さんが「How we make it」で自分について言っていることはどう見てますか?

ビビリなんで、気張っちゃいますね(笑)シャイ、というか恥ずかしがり屋なんです、昔から。何かすることに対して、人にどう思われているのか考えてしまって怖い。昔は嫌でしたけど、最近はそういう自分も受け止められるように徐々になってきました。自分の話をされると恥ずかしいし、緊張するし、今でも逃げちゃうんですけど。舞台の上に立つのが恥ずかしいというのを隠してやっていて、だからさらにすごく緊張していたんですけど、別に緊張している自分が舞台に乗っているということを感じていれば、上がってもいいんだと思ったりしました。自分が嘘に敏感で気にしいなので、嘘はやめようと。“嘘”は自分にとって大事な問題です。チェルフィッチュを観た時も、嘘が乗らない舞台だなって。誰かになるという嘘を当然のように演じられると引っかかるけど、それがまったくないからこそ、気にならずに入っていたという感覚ですね。

撮影:竹久直樹

米川幸リオン(よねかわ こう りおん)
1993年8月22日生まれ、三重県鈴鹿市出身。東京都在住。父がイギリス、母が日本人。
2016年に京都造形芸術大学映画学科俳優コースを卒業。2017年に映画美学校アクターズコースを卒業。
「おもしろいことしようぜ」が口癖。「おもしろい人間」になることが目標。
twitter:@08leon22

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