俳優インタビュー:渡邊まな実(1993)

撮影:竹久直樹

「演劇をやるための上京は許さない」と言われた

山口博之 :

今回、石倉くん以外皆さん地方出身ですね。渡邊さんを入れて93年生まれが三人います。

渡邊まな実 :

そうなんです。私は元々新潟に住んでいて、一浪して東京造形大学進学のために、相模原市に引っ越してきました。今年、卒業しました。

おめでとうございます! 大学では何を勉強してたんですか?

デザイン科のメディアデザイン専攻という専攻でした。美大の予備校に行って、「色鉛筆で絵を描くのが好きなんです」と唐突に先生に言ったら、じゃあデザインを学びなさいと言われて。本命は落ちたんですが、言われるがまま滑り止めで受かったその学科に。グラフィックデザインという紙媒体の専攻とメディアデザインという紙もウェブも映像も一通り勉強する学科に通っていました。

やりたいことを勉強してきたという感じではないんですね。

んー、そうですね。まあでも、上京するというのも演劇をするのを視野にいれたものだったんです。

あ、そうなんですか! なるほど、先にそれがあったんですね。

演劇をどうしてもやりたいと気持ちがあって。高校に演劇部がなかったので、劇団カタコンベという劇団に二年間いさせてもらって、公演は二回出ました。それで上京のことを親に話したら、「演劇をやるための上京は許さない」と言われたんですよ。私の言い方が悪かったのもあると思うんですけど、「私、女優になるから、住み込みでバイトして稼ぎながら生きていく」と思いが溢れすぎた結果、絶対聞き入れてくれなそうな言い方をしてしまったんですよね(笑)「今までは言わなかったけど、私はこれがしたいの!」って。それで親が突っ張っちゃって、家では演劇がまったく非現実的なことみたいになって。親が美術教師をしていたこともあって演劇が駄目なら絵だ!と、予備校に行って絵の勉強をしました。

髪の毛が短くて男の子みたいで、女の子の友だちがほとんどいませんでした

芝居をやりたかったのは何の影響だったのでしょう?

恥ずかしい話なんですけど、小学生の時に雑誌の「ニコラ」とか「ピチレモン」とか、小中学生のファッション誌があって、それをめっちゃ見ていて、これに載りたいと思って雑誌に応募したりしてたんです。しょうがないから撮ってやるかって、親が庭で低画質のデジカメで撮った絶対受からないような写真を送って、「お願い!」と毎日祈ってたんですけど、返事が来ず……。その頃からそういう世界に興味を持ちはじめて、幼いながらにテレビに出るってことは相当何か力を駆使しないと出れないんだぞと思っていましたね。じゃあこの気持をどうしてやろうと悶々としていた時、高校で部活もやらなくなって、手短にそういうことができることとして演劇を知って、地元の劇団に入った感じです。自分の無力さをひっくるめて自分の気持ちを収めてくれるものはないのかと焦っていたというか、早ければ早いほうがいいんだろうと気持ちがあったんです。

2003年は10歳で、小学4年生ですよね。どんな子どもでした?

小2の頃、幼馴染にまな実ちゃんとは友だちやめると言われて、友だちがほとんどいなくなりました。小4は先生がすごく厳しくて、環境問題について近所の家を回って啓発しようという校外学習があったんですけど、ポイ捨て駄目ですよみたいなことを話しに二軒くらい行ったんですね。そしたら、二軒しか行ってないことを無茶苦茶怒られて、「そんなにやる気がないのか、うちの娘より駄目だな」とか言われて反省文を書かされた思い出があります(笑)。髪の毛が短くて男の子みたいで、女の子の友だちがほとんどいませんでした。外で遊ぶのが好きで、自転車でよく暴走していましたね。とにかく元気でした(笑)。内気なのか何なのかよくわかんないみたいな子でした。

友だちに向けられない元気が有り余ってた感じですね(笑)。

小5で友だちができて、その友だちが意地悪な子というか頭が回る子だったですけど、その子のおかげでいろいろなコンテンツを知ることができました。当時流行っていたオレンジレンジとかエブリ・リトル・シングとかのCDをツタヤで借りるということもその子に教えてもらって、ファッションも小5からでした。

輝く必要性はない

造形大に入ってから演劇はすぐ始めたんですか?

大学の劇団で一生懸命やっていたんですけど、主宰の人の気力がなくなったのかなんなのか1年くらいで自然消滅しました。

ということは残りの時間は?

デザインを勉強していたので、他の劇団からフライヤーのデザインを依頼されて、その繋がりで出演させてもらうこともあって、自分が学んでいたことが役に立つこともありました。

在学中にチェルフィッチュは観ていました?

大学の劇団の人たちがおもしろくて、映画学科の人がたくさんいたり、演劇にすごく詳しい子もいたりして、劇団の男の子がこれは絶対観たほうがいい!ってツイートしていたのが、STスポットでやっていた『女優の魂』なんです。それが初チェルフィッチュ作品。話は逸れるんですが、『女優の魂』を観に行って、すごい力の抜けたボールペン画のフライヤーがあるぞと衝撃を受けたのがわっしょいハウス(http://wasshoi-house.com/)で、その後、縁あって宣伝美術のデザインをしたりもしました。
新潟の劇団にいる時、こういうのをやりたいんじゃないんだけどなという気持ちもあったんです。みんな華やかで、自分たちが何か輝いてないといけなくて、自分が舞台に立つことが特別なことのように思っていた感じが居心地悪くて。私、そういう輝く必要性はないからとか思っていて、むしろ自分が生きていく中で大事なものってありますよね、みたいな、普段生きていく中での大切なことを知りたいなとか、そういう感じだったので華やかさっていうのは違ってたんですねよね。

撮影:竹久直樹
撮影:竹久直樹

自分も無頓着なままではいられない

「女優の魂」はどうだったんですか?

こういうのを観るために私は上京したんだっていうくらい、これだ!感がありました。STスポットはお客さんとの近さもよかったし、やろうとしていることに余白があるというか、自分が入っていけるような、しっかり作られているんだけど、あんまりガチガチに作られたように見えない、抜けた空気感がすごくよくて。感動したシーンがあるんです。佐々木幸子さんが「人間界はじゃあおしまいっていうことでさよならー」ってラジオをピッと押して踊りだすシーンがあるんですけど、あのシーンがグッと来て好きなんです。おしまいって言ってボタンを押したら違う世界に行けるんだーと思ったら、すごいなって。人間界から魂だけになっていく時、極楽浄土みたいな思想があるじゃないですか、魂になって抜け殻になって、三途の川を通って閻魔大王がいて、六道があるみたいな。そういうのを全部ふっ飛ばしてさよならーみたいな、自分のいいように行っちゃう(笑) そういう風に行っちゃえる感じがすごくよかった。

撮影:竹久直樹
撮影:竹久直樹

チェルフィッチュはその後も観ていますか?

『女優の魂』以来火が付いて、いろいろ観始めるようになって、チェルフィッチュは「現在地」「地面と床」「GBB」も観ました。「GBB」は上演後にあったことが印象に残ってて。船長が観客を助けずに脱出して300人近くが亡くなった韓国のセウォル号沈没事故があったじゃないですか、それについて国が隠蔽しているということを題材に作品にしようとしたら検閲をかけられたという出来事があって、日本も検閲の問題に対して他人事ではないので急遽アフタートークをしますとなって、終演後に多田淳之介さんと翻訳を担当したイ・ホンイさんと岡田さんが話をしたんです。

検閲の問題は社会と演劇の関わりですが、そういうことはこれまで考えてきました?

その鼎談のことが頭に残っていて、一番怖いのは自由を勘違いしていることだという話し。本当は検閲をかけられているんだけど、権力側はそれをわかったようにやらないというか、かけられたことをみんな知らずに錯覚していてじわじわとやってくるものだって。わかりやすくやってくるものではなく徐々に蝕んでいくものだと。だから自由だと思っていたら大間違いだ、という状況が韓国でも日本でもあるのかもしれないと聞いた時に、自分も無頓着なままではいられないんだなというか、危機感として能動的に調べていかないとわからないものなんだろうなというのは感じました。

体液のようなものが流れていく

今回のオーディションの後、選ばれた人が今後俳優を続けなくてもいいんだと岡田さんは話していたのですが、渡邊さんはどう考えていますか?

役者という仕事は常に変わるもので、場所場所で自分の役割を俳優として問われると思うんですけど、あんまり自分が俳優だぞ!みたいにはしていたくなくて、活動していたい場所もあるし、意志もあるので、いたいと思う場所で果たせる役者としての役割をやっていきたいです。

演劇という形式や方法によって、観客に与えられるものってなんなんでしょうか。

自分が観客になった時、何か与えられたという実感があったように、何かあるはずだと思ってます。悲しかったこと、プライベートなこと、自分自身が隠していたこともひっくるめて、何か暴かれたというか、その芝居を見ることによってこういう気持ちだったのかと気づくというか、体液のようなものが流れていくというか、そういう感じがしていて。ある種観客も参加しているみたいな、観劇中の今の自分がいて、未来の自分に危機感を持ったり、過去の自分の過ちを振り返ったり、他のお客さんもしているんじゃないかなと思ってます。演劇はそれを多角的に、目や耳、鼻、肌を通してヒリヒリとするような体験をしてもらえるんじゃないかなって思います。

岡田さんの演劇を通して、それがよりできそうという感じはありますか?

まだ想像じゃなくて自分の経験則だけでやろうとしているところがあって、それは絶対別物、ダメだダメだと思いながらやってて、できている時もできていない時もあると思うんですけど、できている時はお客さんがすごくクリアに見ているはず。フィルターみたいなものを取っ払って、お客さんに伝えることができるようになっているんじゃないかなと思っています。

フィルターを取る?

自分が自分でつくってしまうガードみたいなもの、ですかね。事前につくって置くんじゃなくて、これはいらないという風にできることで、お客さんを観ることができるという意味でクリアに見えたという感じがします。

「How we make it」で、唾液を混ぜるという表現で言われていましたね。

そう思われてたのかと(笑)。口からダラダラ垂れてましたかね(笑)。あとメタリカが好きと書かれたんですけど、あ、やばい書かれるほどじゃない、もっと好きな人いるんじゃないかってドキドキしてます。私、好きな曲だけを何十回も聞く人で、ある期間ずっとそれを聞いているんです。「creeping death」(https://www.youtube.com/watch?v=UO_84C3fpuI)をめっちゃ聞いていた時があったかと思えば、最近では「moth into flame」(https://www.youtube.com/watch?v=4tdKl-gTpZg)ばっかり聞いてます。

撮影:竹久直樹
撮影:竹久直樹

渡邊まな実(わたなべ まなみ)
1993年生まれ、新潟県出身。神奈川県在住。 わっしょいハウス『木星の運行』に演出助手で参加。近年では、Katsuya Inukai Works『サークル』、栗☆兎ズ『蛇の足掻き』など出演。

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