第62回岸田賞の選考とかの日々

  • 松村翔子氏『こしらえる』。再読。マル。ひとつの場にいる多数の人物にしゃべらせてそれをおもしろいシーンに仕立てていく力量には疑う余地がない。たとえば三場や十二場。そして状況を展開させていく手続きが丁寧で、同時にいい意味の強引さもある。どしどし展開していくために必要な強引さ。その強引さに僕はのることができた。
    作品に備わる腕っ節、という観点からだとこの作品が一番だ。
    初読のときは、Nは不必要ではないかと思った。その疑問が完全に晴れたわけではない。けれども再読してかなり薄らいだ。しかし未だに疑問なのは、Nの役どころにとって役名が「N」であるということが肝要であるはずだけれど、戯曲を読むわけではなくて上演を見るだけである観客には、それはわからないのではないか、ということだ。
    この戯曲で描かれていることは、絶望とも希望ともとれる。人間が人間社会の外にいくためには人間でなくなるしかないのだ、ととることもできるし、人間であることをやめさえすればそれだけで人間社会の外に出ていくことはできるんだ、ととることもできる。要は読み手・観客に委ねられている。読み手・観客は問われているのだ。
    うどん食べる。楽屋で執筆。お昼過ぎからお話し会。照明の確認。ゲネプロ。楽屋で執筆。「三月の5日間」香川公演1ステージめ。初演から36ステージめ。