第62回岸田賞の選考とかの日々

  • 今月17日にQ『妖精の問題』公演のアフタートークにゲストとして出演することになっていて、市原佐都子さんがその戯曲を送ってくれていたので読む。面白い。のびのび書く、というのはまさにこういうことではないだろうか。そしてそれが力強い。言葉がドライブしてる。もっと長くしたほうがいいと思った。もっと執拗に、見ていて読んでいて、疲れてくるくらい。〈妖精〉という、かわいらしいイメージを持つ言葉の使いみちの、過激な新しい提案。イプセンが〈人形〉という言葉でやったことの、〈妖精〉バージョン。

  • テレビのニュースで見る金沢はまだ雪が降りつづいている。自衛隊の飛行機の墜落。そして株価の暴落。候補作をふたつ読む。
    山田由梨氏『フィクション・シティー』。初読。バツ。今回の中で唯一上演を見ている候補作。ここにある言葉をそしてフィクションそれ自体を、信じることができない。登場人物たちが発する言葉を、彼らが発する言葉として納得することができない。キャラクターという道具を用いてフィクションつまり作り事を舞台上でやっているのを見ることの意義が、この戯曲ではわからない。
    山本卓卓氏『その夜と友達』。初読。マル。すんなり読めた。とても分かり易かった。あまりにもしっくり来すぎているとさえ言える。そのせいで評価のための言葉がまだあまり生まれてこない。これについては再読時に先送り。
    これで全部の候補作をとりあえず一度読んだ。

  • 朝、大雪の金沢を発つ。タクシーをつかまえるのがたいへんで新幹線に乗り遅れるところだった。車中で推薦コメントの依頼をうけている映画のサンプルDVDを見る。横浜へ。「渚・瞼・カーテン」のための映像投影テスト。先日もらった「紙背」のなかに載っている、候補作のひとつである西尾佳織氏の『ヨブ呼んでるよ』についての批評を読む。落雅季子さんの書いた批評のなかの、ヨブ記について解説してくれているくだりが、聖書のこと知らない僕にはとても参考になりました。

  • 京都から金沢へ。特急サンダーバードの中で松村翔子氏『こしらえる』。初読。マル。サンカクかもしれないけど、マル。前半はすさまじくよくて、それが中盤以降、ドラマのフォーカスが定まってくるのと反比例して言葉が少しイージーになったような、せりふのテンションがユルくなってしまったような、というのが初読の印象。もう一度読んで確かめようと思う。ここにある言葉ここにいる人物たちのことを信じられる。生身の人間に向き合うときに多かれ少なかれ持つ緊張感を、彼らに対しても持つことを課される。つまりこの戯曲の中の人物たちを僕は〈人間〉とみなしている、認めている、ということだ。作中のせりふの一つ「あ、だからみんな結婚するのか。クリーンな死体として処理されるために。清潔な死を手に入れるために。」これだけでも評価に値する。金沢は強い風のなか雪が降っていた。今日から数日間降り続ける予報が出ているとタクシーの運転手さん。ワークショップするために金沢21世紀美術館へ。始まるまでの小一時間で、ジャネット・カーディフ & ジョージ・ビュレス・ミラーの展覧会。《アンバランス 6(ジャンプ)》(1998)という作品に感銘うける。5時間ワークショップ。参加者有志や美術館の方と夕食。本日の京都公演最終日の上演には立ち会えず。

  • 福原充則氏「あたらしいエクスプロージョン」。初読。評価できない。良い評価を与えられないという意味ではこれはなく、マルともバツともすることが僕には今のところまだできない。人の書いたものにマルだとかバツだとかいうために持ってるべき、対象への一定以上の関心というのを、僕はこの作品に対して少なくとも今はまだ持てないでいる。もう一度読んだら変わるだろうか。「NŌ THEATER」京都公演に向けたビデオメッセージの撮影。京都公演6&7ステージめ。初演から33&34ステージめ。夜の公演後にはフィードバックをする。京都公演はあしたの昼まであるけれど、お好み焼き屋で打ち上げ。その後、吉田神社の節分祭に行く。行ったのが遅すぎてクライマックスはとうに終わっていたけど、お焚き上げの火は残っていた。

  • 七月にロームシアター京都で行われる「NŌ THEATER」来日公演に関する打ち合わせ兼ねたランチ。ロームシアター三階のロビーで演劇批評家の山崎健太さん落雅季子さんと遇う。会議室で岸田戯曲賞を予想する対談をしているところらしい。山崎さんが編集・発行人をつとめる、戯曲と批評が掲載された雑誌「紙背」の創刊号と第二号をいただく。ロビーで行われた「多数決と民主主義~『わたしたちの意思』の表現とは」というイベントに出演。社会的選択理論研究者の坂井貴豊さんを質問攻め。岸田賞の最終選考会のときの選考の仕方を説明し、これは良い方法ですか? と訊いたらかなり良い方法だと思いますとの回答だった。イベント終了後ランチのときのとは別件の打ち合わせをロームシアターと。京都公演5ステージめ。初演から32ステージめ。終演後は役者のうち三人が出演のアフタートーク。フィードバック。

  • 今回の候補作のひとつ「バルパライソの長い坂をくだる話」の作者の神里雄大氏が note に上げている文章「戯曲について考えること」を読む。
    お話し会。「三月の5日間」京都公演3ステージめ。初演から30ステージめ。フィードバック。社会運動研究者の富永京子さんとの対談。きのうのステージを見てくださっていた。夜は京都公演4ステージめ。初演から31ステージめ。ステージを繰り返すということを永劫回帰的苦行としてでなく、何度でも生き直せる悦び、みたいな感じで役者たちがやっている。頼もしい。終演後は役者のうち四人が出演のアフタートーク。フィードバック。

  • 少し前にフェルディナント・フォン・シーラッハ「テロ」を読んだとき、もしこの戯曲が岸田の候補作だったら困るなと思った。「テロ」は、内容はめちゃくちゃおもしろいです。おすすめです読んでみてください。けれども、用いられている形式が単に裁判のそれであるという点に、一読者としてではなく(この劇の一観客としてでもなく)、戯曲賞の選考委員として引っ掛かりをおぼえる。これってただの裁判じゃん、と思わないわけにいかない。だからおそらく僕は「テロ」をサンカクにするだろう。それが正当なことなのかどうかは、わからない。迷ってやっぱりマルにするかもしれない。
    午前中、京都の街を一時間ばかりうろうろして買い物とか。午後楽屋で台本書いたり話し合いをしたり。夕方、お話し会。「三月の5日間」京都公演2ステージめ。初演から29ステージめ。細馬宏通さんとアフタートーク。終演後フィードバック。その後細馬さんも混じってくれてご飯。

  • 朝、知恩院に行く。でも御影堂は大改修工事中だった。。。お昼過ぎ劇場入り。お話し会。照明の確認。ゲネプロ。フィードバック。楽屋で台本書いたり。「三月の5日間」京都公演1ステージめ。初演から28ステージめ。終演後ホワイエでレセプション。フィードバック。劇場近くのいい感じのメキシコ料理屋で初日打ち上げ。僕は途中から店の外の廊下で劇場の方のスマホでテザリングさせてもらいながらミュンヘンとスカイプ。スカイプしているうち打ち上げのお開きの時間になってしまった。。ホテルに戻りスカイプ続ける。

  • ホテルをチェックアウト。台本執筆。役者たちと同じ便で新幹線で京都。京都駅からタクシーでロームシアター。楽屋に二時間半ほど滞在。そのあいだ劇場の人に挨拶したりおしゃべりしたり台本書いたり。ホテルまで歩く。チェックイン。仮眠。起きて、西尾佳織氏「ヨブ呼んでるよ」。初読。まだわからない。マルかバツかサンカクか、判断は保留。
    11ページと14ページに「バートルビー」の I would prefer not to. が使われているけれど、だから何なのか?? というのが僕にはまだわからない。ヨブ記との関連があるのかな。僕は聖書は全然知らない。そういうことも含めてこの戯曲はたぶん、三回くらい読まないといけないやつだ。
    台本執筆。夜遅く、来月下旬からリハーサルがはじまるミュンヘンの劇場のレパートリー作品づくりの一環として出演者などとスカイプでブレインストーミング的おしゃべり。