コメント

  • 手塚夏子(ダンサー・振付家)

    岡田さんと出会ったのは今から18年前くらいで、STスポットは当時館長だった岡崎さんが面白いと思った演劇人たちの熱気で満ちていました。
    多様な演劇人たちの中で岡田さんのはひときわ変わっていて、ちょっと自分の感じ方や考え方に近い何かを感じました。だから、普通だったら演劇の人に声をかけて何かを一緒にやったりしないのだけど、この時はすぐに声をかけて一つのイベントでそれぞれの作品を上演しました。そのあと岡田さんがすごい注目を浴びて躍進していった時は、遠くに行ってしまったように感じて寂しかったけど、あれからも付き合いはずっと続いていて同じように話ができるし、刺激をしあう関係も続いている、そのことを本当に誇らしく思います。これからもたくさんの刺激を撒き散らしていってください。とても楽しみにしています!

  • 熊井玲 (ステージナタリー編集長)

    初演時“若者のリアル”と言われた「三月の5日間」は13年後、確かに13年分の時代劇になった。が、20代の俳優たちの身体を通した瞬間、セリフは“現在”を照射し輝き始める。笑いとエロス、そして時代を切り取るクールな目線。チェルフィッチュの原型は、確かにここにある。

  • クリストフ・スラフマイルダー(クンステン・フェスティバル・デザール ディレクター)

    私とチェルフィッチュとの出会いは、2006年、視察で訪れた日本で鑑賞した、『三月の5日間』スーパーデラックス(六本木)公演でした。
    信じられないほど特異な芸術作品を発見した私は、凄まじい興奮に包まれたことを覚えています。岡田利規の芸術言語との出会いは、パフォーミング・アーツ・キュレーターとしての歩みの中でも、非常に重要な瞬間です。
    日本語は全く未知の言葉ですが、俳優の身体・ジェスチャー・空間と時間・身体の隙間・ジェスチャーが表出するまでの時間、といったものを通して舞台上で発せられる言葉は、見えざる明快さと即時性を持って私に深く影響を及ぼしました。
    発話、身体、空間と時間の使用方法、などのパフォーマンスを構成する要素がどれもとりわけ特徴的に立ち現れることで、21世紀の日本で暮らす若い世代が感じている複雑な感覚を追体験することが出来、作品が私自身に深く訴えかけてくるような感覚を得ました。

    『三月の5日間』は、その一年後にベルギー・ブリュッセルで初の海外公演を迎え、観客に大きな衝撃を与えます。
    それ以降、本作が描く世界観は、作品が持つ特徴的な同時代性と、作品が立ち上げるビジョンの鮮明さ・深遠さをもって、その世界観にあまり馴染みのない大勢の観客へ共有されています。

  • マティアス・リリエンタール(ミュンヘン・カンマーシュピーレ芸術監督)

    『三月の5日間』は、初めて鑑賞した岡田利規の作品で、計り知れない感銘を私に与えました。破滅的な社会情勢と共に人間の内破を描く、岡田利規作品の卓越した特性が光ります。始めは極めて普通に見えた物事が、不安定で窮屈な状態で終わりを迎える有様から、現代資本主義の歪な幻影が浮かび上がるのです。

  • 七尾旅人(シンガーソングライター)

    今もよく思い出すのは、初めて観た公演後、どなたかとの対談で、岡田さんが突然、犬のしっぽの話を始めた時の感銘だ。不覚にも前後の文脈を失念してしまったが、おそらくチェルフィッチュ独自の身体感覚にまつわる話題だったと思う。
    「犬のしっぽはけして嘘をつかない」と岡田さんは言った。
    実のところ、犬のしっぽは、時おりフェイントをかけてくる。
    彼らは激怒していても、しっぽをふる場合があるのだ。
    岡田さんもきっとそのことを知っていて、敢えて、話に持ち出したのではないか。
    そんな不安定なしっぽを愛してやまない自分は、この瞬間から、チェルフィッチュのファンになった。

  • 横山裕一(漫画家)

    劇は一度も見たことがないがチェルフィツチュは以前チラシの絵を依頼されたことがありそのチラシはたいへん薄い紙だった2010年愛知トリエンナーレ図録で面白い写真を見た裸足の男が片足を上げ腿の裏をつかみ何の場面か不明だがこの人物が岡田氏だろうか(違う気がする)その背後に立つ人々も変なポーズである20周年おめでとうございます

  • 徳永京子(演劇ジャーナリスト)

    チェルフィッチュは、静かな演劇/現代口語演劇が主眼にしてきた「関係性の目論み」から「時間の目論み」へと、日本の演劇を方向転換した。言うまでもなくこれはとても大きな更新なのだが、そこに官能性を忘れなかったのが、同じくらいすごい。
    なぜなら、真に優れた作品はすべて官能的だから。時間感覚の変容や、複数の時間を体験することは、もともと演劇を観る行為に含まれていたけれど、岡田利規はそれを“劇場で稀に起きる奇跡”ではなく“劇場を出たあとも作用し続ける生理的な実感”にしようと、しかも成功率100%にしようと本気で考えている気がする。
    『三月の5日間』リクリエーションは、その過程の重要な作品になるはずだ。

  • 桜井圭介(音楽家・ダンス批評家)

    今、「三月の5日間」と聞くと2011年3月のあの日以降しばらくの日々が思い浮かぶようになってしまった。
    「遠くの厄災」を視界の隅に感じながら作られた『三月の5日間』で、夜、六本木通りを霞町方向に向かって行くあの風景に、計画停電や省エネで闇に包まれたあの頃の街並みや、今もなお続く期間困難区域の無人の商店街が重なって浮かぶ。
    そうした僕らの現在地で、今を走る若い身体が、『三月の5日間』を新たに立ち上げる。心して立会いたい。

  • 松井みどり(美術評論家)

    『三月の5日間』で、うわさ話や行きずりの恋に明け暮れる若者たちの、戦争や政治との繋がりの自覚を描いて以来、岡田利規とチェルフィッチュは、同時代の選択を、一作毎に変る斬新な手法であぶり出して来た。11年の『現在地』以降は、原発事故、国境問題、核の傘といった問題が、SF、霊との対話、野球談義といったフィクショナルなフレームを通してユーモラスかつ象徴的に取り上げられた。今、戦争がよりリアルな危機として日常を脅かす一方で、ネット依存や多数決の法則に縛られた社会は、倫理的飽和状態にある。そんな、閉塞感と焦燥感が爆発寸前までに溜められた私たちの感情に、新しい『三月の5日間』が揺さぶりをかけてくれることを期待する。

  • 山縣太一(劇作家・演出家・振付家・俳優・ダンサー)

    チェルフィッチュの「三月の5日間」の初演メンバーで最多出演者の山縣太一です。岡田さんがこの作品で岸田戯曲賞を受賞したんだけど岡田さんが太一が受賞したって言っていいって言いました。僕もその通りだと思うけど、人から言われた言葉であんなに嬉しかった言葉はない。たぶんこれからも。